倉林明子

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大合併と道州制 懸念 参考人「住民遠く」(国の統治機構に関する調査会 参考人質疑)

2015/04/22

 参院国の統治機構に関する調査会は4月22日、「国と地方の関係(広域行政)」をテーマに参考人質疑を行いました。倉林明子議員は、「平成の大合併」が地方自治体に与えた影響と道州制について参考人の見解を問いました。
 参考人は兵庫県知事の井戸敏三氏と中央大学大学院経済学研究科教授の佐々木信夫氏。
 倉林議員は、3月4日の同調査会の参考人質疑で、「平成の大合併」を推進してきた東京大学名誉教授の西尾勝氏が「結果を見ると大失敗だったと言わざるを得ない」と評価していることを紹介。両参考人に大合併の影響について問いました。
 佐々木教授は「地方分権の主体をつくる意図の合併が財政主導の改革に終わってしまった」、井戸知事は「合併によりひずみが出てきている。郡部の疲弊は非常に著しく、公共施設など身近なサービス施設が統合されてることで住民から公共サービスが遠くなってしまった」と述べました。
 また、井戸知事は道州制について「道州規模になったときに住民の意思をいきんと反映できるのか。憲法で定める地方自治の本旨、特に住民自治が担保されないのでではないか」と懸念を表明しました。

議事録を読む
第189回国会 国の統治機構に関する調査会 第3号 2015年4月22日(水曜日)

国の統治機構等に関する調査
(「時代の変化に対応した国の統治機構の在り方」のうち、国と地方の関係(広域行政))

〇会長(山崎力君) 国の統治機構等に関する調査を議題といたします。
「時代の変化に対応した国の統治機構の在り方」のうち、「国と地方の関係」について調査を行うに当たって、本日は「広域行政」について参考人から意見を聴取いたします。
御出席いただいております参考人は、兵庫県知事・関西広域連合長井戸敏三君及び中央大学大学院経済学研究科教授佐々木信夫君でございます。
この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
議事の進め方でございますが、まず井戸参考人、佐々木参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、井戸参考人からお願いいたします。井戸参考人。

〇参考人(井戸敏三君) ただいま御紹介いただきました兵庫県知事そして関西広域連合長をしております井戸でございます。
特に、関西広域連合の発足から現在の機能ということを中心に述べさせていただきたいと思っておりますが、その前に、やはり国と地方との原理原則についても意見を述べさせていただけたらということでレジュメを用意しております。レジュメに沿って御説明をさせていただきますので、よろしくお願いを申し上げます。
それでは、早速でございますけれども、お手元にお配りしております今後の広域行政体制というレジュメの一ページを御覧いただきたいと思います。成熟社会にふさわしい分権型社会構造への転換が必要だという意味で一枚目のパワーポイントを作らせていただいております。
成長社会で必要とされた原理原則が現在のような成熟社会に当てはまるか当てはまらないかということを考えてみましたときに、幾つかのポイントがありまして、直していかなきゃいけない、変えていかなきゃいけないということなのではないかと思っております。
経済的豊かさ、もちろんこれがあって初めて成熟社会も完成するわけでありますが、心の豊かさに関心を持つ方々の方が、昨年の内閣府の調査でも六三%が心の豊かさだと、経済的豊かさだという方々の二倍を占めております。やはり世の中変わったということだと思うんです。
それから、経済効率を求めるときは集中が望ましいのでありますが、心の豊かさとか価値観が多様化しているという状況の中では分散が原理になるべきだと。そして、標準だとか画一だとかというのはどんどん経済成長を遂げていくときの原理原則なのでありますが、成熟社会になりましたら多様性や価値観に応じた個性が問題になります。
そして、成長しているときには、供給能力が足りませんからどうしてもサプライサイダーの見方が中心になっていくわけでありますが、私がよく例えているのでありますけれども、一合升と五合升を考えていただいて、一合升に入ったお米を五合升に入れたらぽこっと四合分足りなくなりますが、それが成長時代なんですね。ですから、常に埋めていかなきゃいけない、これがサプライサイドの原則なんです。ところが、我々日本、もうこの二十年間デフレ、デフレということはどういうことかというと、サプライサイドが余っていて需要が少ないという現象なんですね。それと同じようなことを考えますと、やっぱりディマンドサイド、需要の側の見方というのを強調されなきゃいけないということであろうかと思います。
そういう意味からしますと、中央集権型の行政システムではなくて地方分権型の行政システムにしていかなければいけない。発展途上スタイルが中央集権型、先進国スタイルが地方分権型。これは世界でも類例のないあれですね、日本は。先進国であるにもかかわらず中央集権型を維持している、類例がないと言っていいと思います。それが一つ。分権システムに変えていかなきゃいけないということと、もう一つ、東京一極集中が何でこうなってしまっているか。やはり日本列島の構造としては、双眼型にしていかないとリダンダンシーも確保できないということになろうかと思っております。元々、日本は常に双眼型であったはずであります。
二ページを御覧いただきたいと思いますが、中央政府の役割というのはやはり国家機能の維持に最低限必要な事務に限定、純化すべきではないか、このように考えます。地方自治の本旨に基づいて、国の役割を外交、防衛、通貨、司法などの国家の存立に関わる事務に純化すべきです。
一応、地方自治法の一条の二に、国が担うべき事務の例としてそこに書いているような規定が置かれてはいるんですが、これに基づいて具体の仕分作業がされたことは余りないんです。今まで何がされてきたかというと、国から地方へ権限を移譲するという作業なんですね。移譲するという作業をやっていると、国は当然に持っていて、それで地方にふさわしいものを分けていこうと、こういう発想ですから、常に部分的、限定的な移譲にしかなっていきません。
そういう意味からすると、中央政府の役割というものを限定していくというような発想があった方がいいのではないか。つまり、権限移譲ではなくて国の権限を限定する、こういう発想が必要なのではないか、このように思っております。
あわせまして、財源が、よく言われることでありますが、収入が六、四で支出が四、六、これを一致させるべきだということでありますけれども、この一致させ方は、いろんな技術を使わないと移譲ロスが出てきますので、ここでは余り触れませんけれども、権限と財源と責任を一致させて、自己決定、自己責任が貫ける仕組みにしなくてはなりません。
それで、五ページにちょっと飛んでいただきたいんですが、先ほど申しました、権限を移譲していくのではなくて国の役割を限定させるという意味で、中央集権制限法案というのを、平成五年、兵庫県が提唱させていただきました。これは、私の前任の故貝原俊民知事が当時提案させていただいたものでありますが、国が処理すべき事務を十九項目に限定をいたしまして、そしてその事務について国は行うけれども、あとは全部地方に委ねるんだという大原則であります。
私は、こういう大原則をきちっと明示的に打ち立ててそして作業をしていかないと、国と地方とのもう百年戦争にわたるような、分権、分権というこの作業は切りがない作業になってしまうのではないかと思いますし、一つ一つの事務も、今地方分権委員会で議論していただいているわけですけれども、手挙げ方式で今やっておりますが、手挙げ方式でやりますと何が問題かというと、立証責任が地方側にあるわけです。ですから、地方がなぜそれやると非常に効率的で望ましいのかということを立証しなきゃいけません。これ、なかなか難しいことなんですね。
大体、事務のやり方なんというのは、要は便宜的に決めているのであって、本質的な議論じゃありませんから、そういう意味からすると、国のやることはこうだということを大命題を打ち立てて、そしてその国のやることを議論していって、それ以外は全部地方でやるんだというぐらいの対応で進めていかないと前に行かないのではないか、そのように非常に懸念をいたしております。
また三ページに戻っていただきたいと思います。基礎的自治体と広域自治体との関係なんでありますが、市町村は基礎的自治体ということで、住民に最も身近なサービスを提供する最前線部隊であります。しかし、規模が小さ過ぎると行政サービスの提供が全てできるわけではないということが言えますので、そうすると、やはり専門的で大規模な事業の実施をどこか市町村を超える団体が受け持たざるを得なくなる可能性があります。また、伝染病だとか災害対策などでは基礎的自治体だけでできるのかという課題が出てまいります。
一方で、基礎自治体、市町村の合併は、新たな課題を引き起こします。
平成の大合併やったわけでありますけれども、本県でも八十八が四十一になったわけでありますが、何が問題かといいますと、新しい役所の所在地に全ての機能が集中してしまう。当たり前なんですけれども、それに伴って周辺部の被合併住民の方は不便になったということがありますし、それから旧役場には、大体どんな小さなところでも五百人から千人ぐらい一日訪ねてきていたんです。今は支所になりまして、住民票を取りに来る人しかいないということになっていますので、百人いるかいないかぐらいになってしまって、もう地域のにぎわいの核がなくなってしまって大変閑散とした実情にあります。過疎化と人口減少が促進されてしまったということになります。それは、ひいてはその地域が持っていた歴史や文化やあるいは伝統をなくしてしまうことにつながっております。そういう意味で、平成の大合併の問題点はきちんと摘示して評価する必要があるのではないか、このように思っています。
それから、最近言われておりますコンパクトシティーとか小規模拠点とかという発想は、私は、はっきり言って一極集中のピラミッド構造を全国の津々浦々まではびこらせようとしている発想だと、こう思って反対をしております。
つまり、経済性とか効率性だけで行政を考えるのかということでありますし、我々の生活は効率性や経済性だけで成り立っているわけではない。そこのところにポイントを置いてもう一度議論をきちっとしていく必要がある、在り方を考える必要がある。中心部だけが繁栄して周辺部の衰退を加速させる、一強成って万骨枯るということにつながるわけであります。私は、だから、市町村同士の連携というのは、個性を残しながらの対応ですので、一つの行き方ではないか、このように思っています。
それから、四ページですけれども、広域自治体の在り方でありますが、大き過ぎる広域自治体、例えば道州というようなことを考えますと、これもいろんな課題があります。私は、現在の都道府県は自然的、文化的、歴史的背景を基に国民に定着しているんではないかと。逆に、現在の都道府県が一八九〇年に自治のエリアとして確立して変わっていないじゃないかと非難されているように言われるんですけれども、逆であって、百何年も変わっていないじゃないか、ということは、それだけ国民から信頼されている仕組みだ、こういうふうに評価すべきなのではないか、このように思っています。
それから、文化的な面もそうですが、それらが一体となったからといって、本当に文化的な共通性がない団体が一体になったからといって住民自治が本当に発揮されるんだろうかというふうに思いますし、それから道州の首都の所在地から離れ過ぎて、仮に目が届くだろうかというようなことも指摘をしたいと思います。
そして、六ページ目に入らせていただきますが、やはり行政体制は地域の実情に即したものでないといけないのではないかというふうに思います。そのためにも、地域の実情に即した対応をしていくべきだと。そのときに、単なる末端事務だけではなくて、意思決定に係る部分もパッケージで下ろしていかないとこれは意味がない。今はパッケージ機能が抜けているんですね。一つ一つの細かい事務のやり方についてだけであって、常に意思決定の部分は残っている、企画部分は残っているというのが実情です。これは幾らやっていてもらちが明かないというのが状況なのではないかと思っております。
関西広域連合は、実を言いますと、そういう分権型社会をつくるための突破口になりたいという意味で我々関西の者がつくらせてもらいました府県域を超える自治体でありますが、一番の要請は、南海トラフが動いたときの関西全体のヘッドクオーターがないじゃないか、各県はそれぞれありますけれども、調整役とかヘッドクオーターがないじゃないか、そんな状況を放置しておいていいんだろうかということが最大の共通課題でありまして、そして、関西全体の広域行政を担う責任主体をつくろうということでつくらせていただきました。あわせまして、自治法にもありますように、広域連合の事務と関連する国の事務の移譲を要請する要請権が書かれておりますので、そのような意味で国の事務権限の受皿としての機能を果たそう、この三つの趣旨で設立を平成二十二年十二月に行いました。奈良が抜けていたので関西は相変わらず一つ一つじゃないかと言われていたのでありますが、おかげさまでようやく関西広域連合に奈良も入ってくれることになりましたので、今年度、今年中にはまず名実共に一つになるということだろうと思っております。
実施事務は、広域防災、広域観光・文化、広域産業、広域医療、広域環境などを行っております。特に、企画調整事務はある意味で関西全体の共通課題を処理するということにいたしております。組織体制としましては、広域連合委員会、これは構成の知事、政令市の長でつくります。それから議会、構成団体の議員から選びます。
特色は、そこの下側の図に書いておりますように、防災は兵庫県、観光は京都府、産業は大阪、医療は徳島、環境は滋賀、それから農業は和歌山というように事務をそれぞれ担当県を決めました。これによりまして、いわゆる全部の事務が一つのところに集中するのではなくて、業務首都制、それぞれの事務に応じて中心が変わっているというやり方を取っています。それと併せて、兼務を活用しまして、共通事務以外の分は全部兼務の職員が行う、例えば防災ですと、兵庫の防災監が防災局長を行うと、こういうやり方を取りました。
成果としましては、東日本への支援やドクターヘリの共同運航や広域課題への調整を行ってきております。
メリットといたしまして、十ページでございますが、地域の実情を最も把握している市町村、明治以来、広域自治体として定着している都道府県の仕組みを堅持することが可能になります。また、府県合併を行わずとも、機能的連携により広域課題への対応が可能になります。また、広域課題に対する責任主体と特別地方公共団体として持ち得ます。また、国の事務の受皿ともなれます。そして、柔軟な対応も大丈夫です。業務首都制による効率的な組織運営も行えるということになろうかと考えています。
道州制でございますけれども、いずれにしても、要は制度を変えたらいいんだという発想は危険です。単に統治機構を変えるだけで地方自治の発展につながるとはとても言えないのではないかと思います。
また、地方自治の本旨というのは住民自治と団体自治だと、こう言われておりますけれども、憲法で言っている地方自治の本旨が道州で保障されたことになるのであろうか。地方自治法は、都道府県の区域と名称は従来の区域とすると書いてあります。その発想は地方自治の本旨を受けての発想であるはずでありますから、変えようとするのに都道府県の区域をがばっと変えてしまおうというような発想は本旨に当たるのかどうか。それから、平成の合併の検証が必要だ。それから、広大な道州では実現できるかどうかが問われます。
それと、こういう組織いじりを考えるような時期なんでしょうか、もっと今はいろんな他の課題がいっぱい山積していませんでしょうかということ。我々としては、都道府県と広域連合で分権社会の実現は十分可能ではないかというふうに主張させていただきたいと思います。
最後に、十二ページでありますが、キーワードは多様性と連携なのではないか、それぞれの地域が個性を生かしながら地域資源を活用していき、そして足らざるところを補う、連携して支え合う仕組みが求められているのではないかと考えております。
兵庫は今回、地方創生を、地方と中央という対概念ですから、地方という言葉は、ですから地域創生と言い換えまして条例を作り、そして徹底的に分権推進を図っていこうという体制と、市町村とも協力した推進を図らせていただくことにいたしております。
私は、取りあえず以上、御説明申し上げさせていただきます。

〇会長(山崎力君) 井戸参考人、ありがとうございました。
次に、佐々木参考人にお願いいたします。佐々木参考人。

〇参考人(佐々木信夫君) 佐々木信夫でございます。よろしくお願いします。
今、井戸先生がいろいろ、道州制の話も比較的消極的なお話を結論的にされましたが、自己紹介という意味で申し上げますと、「人口減少時代の地方創生論」という、本当は全員の方に財力があればお配りをしたかったんですが、第六章のコピーだけが実は付いておりますけれども、メーンタイトルは「人口減少時代の地方創生論」なんですが、この中身は、実は「日本型州構想がこの国を元気にする」というこちらが、サブタイトルがメーンでございまして、出版社が逆に付けたというだけでありまして、今の地方創生論で皆さんは読んでくださるのかなということで付けたんだろうと思います。
廃藩置県以来の、あえてキャッチフレーズで申し上げますと、古いシステムにいつまでしがみつくのか、これは問題提起でありますので。九州だけでオランダ、東北だけでスウェーデンと、これだけの経済規模が各地域にあるにもかかわらず、それがいわゆる気付きの社会になっていないという。東北なら東北、九州なら九州がこれだけの国に相当する活動をしているということがそこに住んでおられる方々には気付く仕組みになっていない、言われるのは東京一極集中と、こういうことで全部くくられるわけですが、実はそうでもないわけであります。東京一極集中はこれからの日本の最大のリスクと、こういうことも書いてございます。
挑戦的にお話をするというわけでは全くございませんで、私は私の考えていることを述べさせていただきたいと思いますが、いただいたテーマは、どちらかといえば市町村レベルの広域行政について今どうなっているかということでありましたので、国の形を大きく変えるという議論は、もし必要とのところで議論できればと思います。そういうレジュメは実は用意しませんで、市町村レベルのいわゆる広域化時代にどういう仕組みが今あって、今、地方制度調査会の委員もやっているものですから、今日五時からもございますが、人口減少時代の新たな地方行政体制の在り方という諮問をいただいておりますので、どうしたらいいのかなということを考えながらやっている、その中間の話みたいなものをレジュメにまとめさせていただきました。
大きい歴史で見ますと、二十世紀は人口が大変増えた、まあ二十世紀だけが増えたと言ってもいいと思いますが、明治維新の始まる前までの日本というものは、八百年から一千年の間、大体一千万人。農業国家でありますが、交通手段も馬、船、徒歩の時代でありますので、一千万人。
これが、明治維新から明治政府ができる、内閣が明治十八年、国会が明治二十三年、都道府県制度が明治二十三年、市制町村制が明治二十二年スタートですから、大体明治維新から二十年たって日本の近代国家の仕組みができ上がるわけですが、その間ざっと二十年ちょっとの間に日本の人口は三千五百万人に増えています。つまり、開国の効果というか、明治維新後の開かれた日本の効果というものは日本の人口を増やしていったと。
それから半世紀たちまして、第二次世界大戦で大きな失敗はありましたけれども、人口も減りましたけれども、それでも明治の半ばから半世紀で七千万人という戦後の数字がございます。それから、今年、戦後七十年と言っていますが、人口が減り始めて六、七年たっておりますが、おおむね六十年間で更に二倍になったと。一億二千七百五十万ぐらいで頭を打ったということではありますが、約一億三千万人になったと。
こういうふうに倍、倍、倍とこの二十世紀の間に人口が爆発をしてきたという、アジア型近代化の一つの特徴かもしれませんが、大変人口が増えたと、こういう国でございました。
それが、いろんな予測が出ておりますが、どこまで減っていくのかですね。減っていくことが悲しいかどうかというのは、多分この二十世紀が異常でありまして、国会の中でも是非議論、特に参議院の場合はじっくりとやっていただきたいんですが、日本の国土に定員というのはないんだろうかと。乗り物でも建物でも学校でも、あるいは保育所でも、一人当たりの子供はどれぐらいの面積が必要だと、こういうことを計算しているわけですが、七割が可住できない山林、山でくくられていますけれども、三割のこの沿岸部に人が住んでいる日本ですけれども、どれぐらいが適正規模なんだろうかと。
つまり、一億二千五百万が望ましい人口規模なのか、それとも今後の予想で、中位水準を見ると大体二一〇〇年で八千万人ぐらい、政府は一億人で止めるんだと言っていますが、それは人口学者からいうとなかなか難しいお話をしている話なんですが、仮に八千万人だとして、それでも明治の政府ができたときから見ますと、三千五百万人に対して八千万人ですから、二倍以上の人口がありますね。
同時に、現在が一番の天井でありますので、約一億三千万人が暮らしやすい道路なり様々な社会資本なり、あるいは個別の住宅を用意していますので、多分GDP五百兆円をハイテクによってこれから七十年、八十年維持できていくとすれば、もしかして八千万人の国が世界で一番豊かな国になる可能性があると。
今生きている人は多分二一〇〇年のそういう状態を見れる方はなかなかおられないので勝手なことを申し上げますが、必ずしも人口が減っていくということは、政治家の方々は、兵庫県知事さんは分かりませんが、人口が減ることは大変悲しいことで、そういう計画を作ることは望ましくないというのがどこの首長さん方でもそうでありまして、今、五か年の地方創生論を各地域で政府の求めに応じて作っていると思いますが、多分足し算をしますと二億人ぐらいになる。
これ実は、十年前の日本の市町村計画と都道府県計画の我が県、我が市、我が町の将来の人口はという推計を書いてある計画書を見ますと、これも二億人ぐらいになるわけでありまして、ほとんど意味のない数字を、科学的でない数字を言いながらそれぞれやっているわけでありますが。
急激に人口が減ることのひずみであるとか、あるいは、非常に能力の高い日本人だと思いますので、人口減イコール経済が落ちていくという話にはならないんじゃないかと、日本の場合ですね。やっぱり、そうならないようにできる能力が実はあるんじゃないかと思いますので、私は、急激に減ることのひずみというものについてうまく対応していけるなら、仮に我が国の人口が八千万人であるというような計算ができ上がったとすれば、この一億三千万人が暮らしやすい様々な社会資本を八千万人で使っていくということは一番豊かな国に実はなるのじゃないかというふうにも一つ考えているわけであります。
そこで、時間が二十分というふうになっておりますので、この二十世紀の人口爆発の世紀は、実は日本にとっては、農村国家から都市国家に大きく変貌していった国であったと。したがって、統治の仕組みというものも、これだけの世の中の変化、人口が増えてきましたので、これまではともかく、農村国家から都市国家に変わっていった、この都市国家の時代における新たなやはり統治の仕組みなり行政の仕組みというものを今構築をしていく時期ではないかと。そういう意味では、長らく続いてきたことを大切にする部分と、やはり効率性、効果性もきちっとにらんだ上でこの統治の仕組みをリセットするという両方の視点が実は必要ではないかと思います。
レジュメをあと十分ぐらいでさらっと、皆さんの頭を整理していただくために作ってきたものを御紹介をしますと、この国と地方の関係、広域行政という資料でありますが、住民基本台帳で出している数字、一億二千六百四十三万人と。これ、最近数字が発表されましたのでもうちょっと減っていますね。大体、細かな数字はともかく、今、日本は百二十五万人亡くなって百万人生まれているという、こういう状態でありますね。これがあと二十年ぐらいたちますと、二百万人亡くなって百万人生まれてくると。まあ、この生まれてくる方は増えるかどうか分からないんですが、なかなかそう簡単でもない。そうすると、今二十五万人ずつ人口が減っていますが、そのうち百万人ずつ人口が減るという、特にこれは、私もそういう年代ですが、団塊の世代、戦後ベビーブーム世代が七十五歳を過ぎていくあと十年後辺りから急ピッチで亡くなる方が増えていく、そうすると急激に人口が減っていくと。
人口の変動要因については、日本創成会議という、昨年五月に発表した、消滅可能性自治体と、消滅自治体とは必ずしも言っていないんですね。増田寛也さんは親しい方ですが、売らんがための私の本に似たようなタイトルの付け方かもしれませんが、人口が市町村で半数以下になっていく、二〇四〇年に半数以下になっていく。ですから、二十五年後をにらんで、市町村で人口が半減するところを消滅可能性自治体というふうに名付けたようであります。もちろん、限りなくゼロになるところもあるわけでありますが、半数以下。
それを見ますと、日本のほぼ、今千七百十八市町村ですけれども、半分、半数が実は半数以下の人口減になっていくと。その要因は、生まれないということもありますけれども、同時に、生まれにくい大都市地域に、出生率の低い地域に若い人たちが集まってきてより人口が減っていくと、この二つのメカニズムを説き明かして問題を提起したと。
もう一つ、レジュメにはありませんが、今は一生懸命解説をする仕事が多いものですから、テレビ、新聞でやっていますが、統一地方選挙が今行われて、前半が終わって、後半が日曜日から始まって今度の日曜日投票ですが、昨晩もNHKのニュース9でやりましたけれども、無競争当選が一つのキーワードになってきていまして、私はゼロ票議員、ゼロ票議会と、こういう言葉を使った方がいいと言って、NHKも使っていましたけれども、政治的正当性が失われている議会あるいはそういう議員というものが、実は県議会議員のレベルでも二一・五%に今回なったと。これはもう戦後一番大きい数字であります。町村長でも四〇%になっていると。町村議員でも、まあ終わってみないと分からないですが、ただ締め切っておりますので、無競争については三〇%を超えていると。
国会、県議会、それぞれ、市区町村議会がありますけれども、その議会というものが、実は地方分権を進め、さらに地域で自ら決定をし自ら責任を負うという仕組みをつくりながら、一方で政策の決定者である議会というものがそういう状況になってきていると。さらに、議員のなり手がなかなかなくなって、辞めるなら後任を探して辞めてくれというのが、少なくとも小規模の一万人以下の市町村の実態のようであります。
それはもう皆さん御承知のことかもしれませんが、これはやっぱり今後の地方の行政体制を考えていくときに一つ大きい課題かなと。単なる行政をやるというわけではありませんので、やはりそこで展開されるいろんな決定なり民意を吸収をして政策をつくるということを自治体がやろうとしますと、そこの草の根の部分が非常に危ない状況になってきていると。
それで、レジュメですが、行政対応の仕組みと。いろんな仕組みが、井戸先生は旧自治省にもおられた方でありますので、旧自治省がいろいろな仕組みをつくってきたものも、今使われているものもございますが、大きく五つぐらい、一ページの下の方ですが、あとは各論で、その中身はどういうものですかということを説明したものでありますが、仮にここで申し上げますと、一つは規模を拡大をするという、これは言葉を換えますと統治機構の一元化と。これは明治の大合併、昭和の大合併、平成の大合併と。
明治の大合併は七万一千の町村を一万五千の市町村に変えて明治時代が始まったと。それから、昭和の大合併はそれが三千五百になったと。昭和二十八年から三十六年、日本の法律でやったと。小学校を持てる規模が明治の時代、中学校を持てる規模の八千人が昭和の合併の一つのメルクマールと言われましたけれども、平成の大合併は三千二百三十二市町村が千七百十八になっている。しかも、地図で落としてみますと、西高東低状況で止まっていると。もちろん、東北でも秋田とか岩手とか、青森はどうか分かりませんが、合併を盛んとしたところもございますし、福島のように余り合併をされなかったところもありますが、いずれにしてもほぼ市町村数が半分になっております。
この、いわゆる規模を拡大しながら行政サービスを充実させるという手法はイギリス、ドイツ、スウェーデン、日本が比較的得意とするところというか多くやってきたところでありまして、規模が大きいところを割っていくというアメリカ型のやり方もあります。まあ日本の場合は、規模を大きくしてきたと。
広域化に対応する方法として、その次に一番使われてきたのが一部事務組合という、特定のテーマについて、ごみ処理であるとかガス、火葬場の経営であるとか、そういうものをそれぞれお金と人を出し合って組合をつくって処理をすると、こういうやり方。それを少し広げて、府県レベルの広域連合というのは珍しいわけですが、市町村レベルで、例えば介護保険とか、そういう広域連合というものもその後使われてきております。
ここから先が少し新しいというか合併などと違うやり方で、これから売りにならないかなと地方制度調査会などでも盛んとこの辺が議論の中心ですけれども、母都市との連携を強化する。母都市といった場合に、資料は、オリジナルというよりは、いろいろ総務省、国交省等が作った資料を使わせていただいておりますが、七ページ、右の下の方に、横長の資料編で七ページに地図が出ておりますが、おおむね連携都市圏の中心となり得る都市と。人口が二十万以上で、そこと隣接する市町村を広げて三十五万ぐらいで一つの都市圏ができないかと。そこで連携協約を結んで、なるべく小規模なところも同じサービスの水準を担保できるようにしようと。
これが、少し前ですとそういうところが合併をして担保しようとしたわけでありますが、そうではなくて連携の方式によって担保しようと、こういう話。一つ、母都市との連携強化という方式。連携中枢都市圏というのはこれから一生懸命財政支援もしながら法的な仕組みをつくっていくという、こういう動きであります。全国で広げてみても百はできないんですが、今六十幾つと。
もう一つは、委託をする、連携をするというよりは母都市に個別に委託をしていくと。これとこれとこの仕事については例えば中心都市、二十万都市にお願いをすると、こういう、いわゆる地方の中枢拠点都市と思われるところに委託契約をして個別に委託をしていくという。
これはしかし、ある程度二十万都市とかいうところがあるところの話でありまして、そこから相当距離があったり、更に中山間地域とか離島とかいわゆる条件不利地域というところもあるものですから、そういうところでは、実は五万人ぐらいの定住自立圏あるいは小さな拠点、拠点制をつくっていくというのはいかがなものかという井戸先生のお話ではありましたが、私の感じですと、都市国家の時代というのは結局都市に人が集まると思うんで、農村国家の時代のように、つまり生産の場と消費の場が同じ場であるという活動ならそれぞればらばらに暮らすはずなんですが、そうではなくて、働く場と住む場を分けたり遊びの場が町の中にあったりしますと、どうしても大、中、小、こういう都市ができていくというのが都市国家の特徴だろう、その流れというものはある程度自然ではないかと。それを見ながら行政の仕組みを考えるということしかないんだろうと思いますが、実は定住自立圏とか小さな拠点のところでは府県が補完をするしかないじゃないかという形で、自立できないところは、委託もできなければ連携もできないとすれば府県が補完機能を果たすと。ここまでは議論としてはございます。
六番目は、これはまだ議論としてはないんですが、問題だけ提起しておきますと、市の制度でも、政令指定都市、中核市、一般市と、町村は一つ。町村と言っていますが、これは第二十七次の地方制度調査会で平成の大合併を進める頃議論されてそのまま葬り去った特例町村制という、つまり、全部一律に、千人の村でもフルセットで仕事をお願いをするというやり方は限界があるんじゃないかと。そこで、仕事を住民に密着した部分だけに絞り込んで、あとの部分は実は府県なりあるいは隣接の大きいところが補完をするというやり方で、町村というものを二種類にしたらどうかという一つの提案であります。これは、市が三種類なら三種類あるのと同じような発想でありまして、何か特別なものじゃないと。
それからもう一つ、この管理自治体というのも、もう言葉は今はありませんが、実はこの人口の予測を見ますと、二〇四〇年ぐらいになりますと二割ぐらい住民がいない地域が出てくる、空白地域が出てくると。しかし、そこには道路がありますし、元々の公共施設もありますし、空き家もあるかもしれませんが、人が全く住んでいないところを自治体というふうに言えるかどうか分からないんですが、そういう人口がいなくなったところを誰が管理するかと。こういう時代は日本ではまだ想定されていませんが、これはどこかにお願いをするしかないんじゃないか。
つまり、Aという市とBという市の間にXという町があったときに、その町が完全に空白になった場合に、AとBの間に道路があるわけでありますので、例えばその道路をきちっと管理するのは、市町村道路ですと町がやっていたはずなんですが、それをどうするかとか、そういう公共のインフラが中心かもしれませんが、ただ地域も、農村でも山林でもほったらかしますと、一年もたちますと獣の山のようになりますので、今はイノシシとタヌキとキツネと戦っているところがいろいろありまして、特に鹿ですね、地方の自治体では鹿を捕ってくれる方を一生懸命、六千円ぐらいで一日日当でお願いをして鹿撃ちをやっていますが、農村を荒らしに来ているわけでありまして……

〇会長(山崎力君) そろそろお話をおまとめ願いたいと思います。

〇参考人(佐々木信夫君) 分かりました。
人が住まなくなりますと、だんだんそういうののいろんなものが下りてくると、こういうことをにらみますと、やはりこれからの行政の仕組みというのは人口減少をにらみながら新たな仕組みが要るのではないかと思います。
府県の在り方については省略をさせていただきます。まずは、基礎自治体の在り方について、そういうことを申し上げました。
どうも五分ばかりオーバーしまして、失礼しました。

〇会長(山崎力君) ありがとうございました。
以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。

〇会長(山崎力君) 続きまして、倉林明子君。

〇倉林明子君 日本共産党の倉林明子でございます。京都選挙区から選出されておりまして、広域連合にもお世話になっておるところでございます。
今日はお二人の参考人、貴重な御意見ありがとうございます。
一番最後に佐々木参考人が御発言もありました、道州制に関わってなんですけれども、質問は井戸参考人にお願いしたいと思うんですね。
現在の道州制議論について、先ほどの、最初の意見陳述でも、憲法における地方自治の本旨に反するのではないかということで指摘されている点は重要だなと思ってお聞きしたんですね。その点でくくった御説明になっていたかと思いますので、少し踏み込んで御説明をいただきたいと思います。

〇参考人(井戸敏三君) 憲法では、地方自治の本旨に基づいてこれを法律で定めるとしか規定されていないものですから、結果として地方自治の本旨とは何だろうということになるんですけれども、今までの、教科書的に言われているのは団体自治と住民自治だということなんですが、道州規模になったときに、本当の意味で、団体自治は十分確保できると思うんですが、住民の意思をその道州にきちんと反映できるだろうかと。
例えば、関西というのを考えましたときに、百人規模の議会を考えましても、人口割りでさらっと百人を割ったとしますと、兵庫県でも何人出せますかね。せいぜい二十人とか、そんな規模になってしまう。その二十人の議員を仮に出して、そして兵庫の住民の意思を代表をきちっとしているだろうかというような物理的な限界がどうしてもありますから、そうすると本当の意味での住民自治が確保されたということにつながるだろうかというのが憲法論議の一つのポイントになってくるのではないかと、このように思います。

〇倉林明子君 住民自治をどう担保するかということで、私も関西広域連合設置の際に京都で市会議員しておりましたので、議会から選出された代表を京都では多分四名送ったと思うんですけれども、我々一定議席持っていたので一人共産党からは出せたんですけれども、果たしてこれで広域連合の議会として住民自治、住民の声が鏡のように反映できる自治体となるのかと議論した覚えがありまして、同様のことは道州制を考える場合、憲法の住民自治、憲法で定めた地方自治の本旨ということがどう担保されるのかというときに大事な視点だというふうに受け止めております。
そこで、次に井戸参考人にまた続きで申し訳ないんですが、これからを考えていく際に、これまでの取組はどうだったかということで、私、三位一体改革について今日のお話の中では触れられていなかったかと思うんですね。
三位一体改革についての評価をお聞きしたいと思うんですが、その上で、本調査会でも議論がありまして、四月十五日の調査会、参考人に来ていただきました神野直彦参考人、地方分権改革有識者会議の座長ということで中心になって進めてこられた方ですけれども、この神野参考人が三位一体改革について、自主財源である地方税を増やすことによって一般財源、つまり地方税プラス交付税を増やそうというのがそもそもの意図だったと思うと、少なくとも三位一体改革に関与した私の意図だったと、こう述べられた上で、ところが結果的には五兆円交付税が減らされた、全て関与した者である私の責任だがと申された上で、結局設定した目的とは逆な結果になってしまったと、こういう評価を述べられたんですね。
改めて、地方自治体の知事ということで、井戸参考人に御意見をお聞きしたいと思います。

〇参考人(井戸敏三君) 評価としては、いい点と悪い点がやっぱりあります。
評価すべきなのは、ああいう、国が赤字財政の状況の中で自治体に三兆円の税源移譲を行った。税がやはり一番の基本的な財源ですので、地方自治の強化にそれはつながったはずなんです。ところが一方で、交付税の、もし、本当は財源不足額を特別会計の借入金だとか臨時財政対策債で埋めてないで従前のように三二%の財源で運営されているような交付税制度であったら、画期的な、三兆円地方税が増えたということですから、現実が生まれたんだと思うんですが、財源不足の解消に使われちゃっただけ、それで、しかも財源不足の解消以上に交付税を切り込まれてしまったということの結果に落ち着いてしまったという意味ではうまく活用されたなと。我々知事会としても、いろんな提言をしたのがほとんど、我々の提言の実行率は一二%ぐらいにすぎませんでしたから、結果として国にうまい具合にやられたなというのが最終結論です。
特に、私たちは補助金の転換というのを強く要請していたんですね。この補助金はその三兆円の中で地方が自主的に対応しますよと、そういう幾つかの有力な補助金の転換を要請していたんです。例えば、直轄負担金の問題もありますが、道路の維持管理費などについては基本的にもうこれはなくしてもらったんですけれども、それ以外の補助金、例えば国保の運営費補助金だとかいろんな住民生活に密着している補助金、そういうものについて振替を要求していたんですけれども、それが実現できなかったということが大変懸念したとおりになってしまったなというのが実感です。ただ、三兆円の税源移譲がなされたということはもうこれは事実ですから、それはそれとして評価すべきだと思っています。

〇倉林明子君 お二人の参考人に質問したいと思います。
平成の市町村合併、先ほど来話題にもなっているところですけれども、これも三月四日の調査会で西尾勝氏が、自身が推進してきた平成の市町村合併についてということで意見を述べられておりまして、進め方として正しかったかというと、なかなか思うようにいかなかったと、編入合併される側の町村の小さな自治を大事にしていくという方策をもっとみんなが力を入れてやらなければいけなかったのではないだろうかというふうに思っていて、結局余りメリットのない結果に終わったんじゃないか、やはり財政的な締め付けが一番利いてしまったのではないかと思うと、こういう意見表明されたんですね。なるほどなと思って聞いていたわけですけれども。
この平成の市町村合併について、また西尾氏がこういうふうに御意見述べておられるということについて、それぞれの参考人の御意見を伺って、私は終わりたいと思います。

〇参考人(佐々木信夫君) 合併問題は大分調べましたし、書きましたし、いろいろお話もしましたので詳しいつもりなんですが。
三千二百三十二市町村が千七百十八になった、ほぼ半分になったと。大体、ざっくり言うと編入合併が三割、新設合併が七割なんですね。一番の問題は、何のために平成の大合併をやったのかと。それは、二〇〇〇年の地方分権一括法施行以来、分権時代の始まりの基礎自治体が、受皿というと受け身ですが、政策主体、経営主体になれるような基礎自治体をつくろうというのが元々の始まりだったと思うんですが、そのためにはどれぐらいの例えばスケール、規模が必要かとかそういう議論が本来は行われるべきなんですが、それが全くないまま、財政主導で、財政支援によって特例債を合併事業には七割認めて九五%は後に交付税で返すとか、ほとんどただで仕事ができるので合併をしたらどうですかと言うと、五千人と一万人の町が一緒になっても合併ですので、それでいろんな事業ができるということでどんどんやったところがあるんですね。
結局は、終わってみて私は失敗だとは思っていないんですが、というのは、明治でも昭和でも、振り返ってみると分裂をして終わったという歴史はまだないので、これをうまく使っていこうというその賢さは日本の場合はあると見ていますので、これは十年の今の段階で、特に財政の支援措置の終わったところで今評価するのはまだ早いと思うんですが、要するに分権の基礎自治体の主体となれるような規模が確保されたところと全くされていないところでは、結局、今後成功した、失敗したの評価の分かれ目が実は出てくるんじゃないかと。
何割が成功で何割が失敗かとはなかなか言えないんですが、小さくてもうまくやっているところはありますけれども、少なくとも、政府主導であったかどうかはともかく、県も間に入って一生懸命、私も宮城県の合併審議会の会長を六年やりましたので見ておりますが、どれぐらいであればいいのかということを何度も市町村長は聞くんですが、それに対する答えはないものですから、結局、市町村同士の肌合いのいいところで一緒になったらどうですかというレベルで一緒になっている。ですから、明治、昭和の合併よりもある意味理念がはっきりしない合併であったと。
これは、有名な地方分権などを推進をしてきた委員の先生もおっしゃいますが、結局、地方分権の主体をつくるんだと言いながら財政支援に釣られた合併に終わったので、結果がよく見えないものになっていると、そういう評価ですね。ただ、失敗だとは私は思いませんが。

〇参考人(井戸敏三君) 佐々木先生のおっしゃる点と私も基本的に同じ評価であります。
兵庫県の場合は、九十一が四十一になったんですが、これ県がかね、太鼓でたたいたわけではなくて、私どもはニュートラルで、市町村に選択をする、そういう機会を与えたんですが、そのときに判断材料がどうしても要りますから、人口がどうなるか、財政状況がどうなるか、税収などもどう推移するか、産業構造などもどうなっていくか、こういう基礎的な資料を作るのには私たちも応援しますよと、しかし決断をするのはその市町村の皆さん、住民の皆さんですよというのが本県の基本的なスタンスでした。
なぜそういう将来見通しを与えたかというと、やはり財政的な枠組みが小規模な団体ですと大変つらくなる、今後更につらくなるという見通しがかなりあったものですから、小規模で財政的につらくても我慢して自主的な再建を貫くのか、それとも、少し一緒になって財政的なあるいは弾力性を確保しながら地域づくりを進めるのか、そのどちらを取るのかという選択をしていただいたということではないかと思っています。
そういう意味からすると、各市町村の財政力は高まりましたから、それはそれで、ある意味で財政面では成功だったというふうに思っています。ただ、ひずみが出ました。冒頭にも申しましたように、被合併市町村の役場所在地の疲弊は非常に著しい、あるいは公共施設などの身近なサービス施設が合体することによってなくなる、ですからサービスが遠くなるというようなひずみは出てきています。例えば、商工会なども合併すると本来一つになるわけですから、すごく人数が縮小されてしまいます。ところが、そういう状況をどういうふうにカバーするかというのがやはり県の役割だということで、商工会などは支所を置かせて、そして十年間は減少をしない、県単で見る、十年以降も自然退職が出てきたら埋めないで対応していくというような振興策を併せてつくらざるを得ませんでした。そういうひずみがどうしても出るんだというところの対策が十分に行われてこなかったというところにやはり平成の大合併の批判が出てきているのではないかと、このように思っています。

〇倉林明子君 ありがとうございました。

日時
2024/04/19(金)
場所
内容

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