「交付金が大幅削減」 「三位一体改革」で参考人質疑(国の統治機構に関する調査会)
2015/04/15
参院・国の統治機構に関する調査会は4月15日、「国と地方の役割分担」をテーマに参考人質疑を行いました。日本共産党の倉林明子議員は、国から地方自治体への権限移譲の実態と「三位一体改革」が与えた影響について参考人の見解を問いました。
参考人は広島県知事の湯崎英彦氏と東大名誉教授の神野直彦氏、京大大学院法学研究科教授の秋月謙吾氏。
地方自治体への権限移譲について、秋月氏は「権限移譲の善しあしの判断にはさらなる検証が必要だが、税源移譲が十分に行われていないではないか」と述べました。
「三位一体改革」の影響について、湯崎氏は、「交付金が大幅に削減されてしまった。地方自治体が自由に使える財源が少なくなり、地方独自の政策費用を削らざるをえなかった」と苦言を呈しました。
地方分権改革有識者会議の座長も務めている神野氏は「当初は地方自治体が自由に使える財源を増やすための改革だったはずが、5兆円もの交付金を削減することになっていしまい、本来の趣旨と真逆の改革となってしまった」と指摘し、「私自身『三位一体改革』に関与した一人として責任を感じている」とまで述べました。
国の統治機構等に関する調査
(「時代の変化に対応した国の統治機構の在り方」のうち、国と地方の関係(国と地方の役割分担))
〇会長(山崎力君) 国の統治機構等に関する調査を議題といたします。
「時代の変化に対応した国の統治機構の在り方」のうち、「国と地方の関係」について調査を行うに当たって、本日は「国と地方の役割分担」について参考人から意見を聴取いたします。
御出席いただいております参考人は、広島県知事湯崎英彦君、東京大学名誉教授神野直彦君及び京都大学大学院法学研究科教授秋月謙吾君でございます。
この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
議事の進め方でございますが、まず湯崎参考人、神野参考人、秋月参考人の順にお一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、湯崎参考人からお願いいたします。湯崎参考人。
〇参考人(湯崎英彦君) それでは、失礼をして御説明をさせていただきたいと思います。
改めまして、広島県知事の湯崎でございます。よろしくお願いをいたします。
私どもといたしましても、本日、参議院のこの調査会におきまして私どもの考えを述べさせていただく機会をいただきましたことに御礼を申し上げたいというふうに思います。
と申しますのも、私ども、今日御説明させていただく内容でございますけれども、地方分権型の道州制というのを県として推進をしておりまして、これがなかなか議論が進んでいかないということがございます。我々の意見を直接国会の先生方に御説明をさせていただく機会というのもなかなか少ないものですから、非常に貴重な機会だというふうに認識をしております。
それでは、早速御説明をさせていただきますけれども、お手元、お配りさせていただいております資料を開けていただきまして、大きく現状の課題、それから解決に向けた方向性、そして広島県として考えておる地方分権型道州制についての基本的な考え方を御説明させていただきます。
まず、課題ということでございますが、一ページにございますような、これはもう皆様御承知のとおりでございます。人口減少あるいは東京圏への人口の集中といったようなこと、これが国の統治の在り方を考える上でも多く影響していると思っております。
そして、国と地方の役割分担の最適化ということを改めて考えるべきではないかというふうに思っております。二ページの方になりますけれども、一つは、一番上の四角にございますように、地方行政にも国は現状非常に大きく関与をしている状況でありまして、国の役割が膨大であるというふうに感じております。そういう意味で、国が本来取り組むべき課題への集中的な対応が困難になっているのではないかという問題意識がございます。一方で、私ども地方としては、創意工夫をしながら独自性を発揮しなければならないということは重々分かっておるわけでありますが、そのための権限や財源に極めて乏しいという状況でございます。
また、国の財政上の課題ということもあるというふうに認識をしておりまして、この地方予算に関与しているということを含めまして、国が多額の予算を管理しております。そういう意味で、マネジメント面で大きな課題があるのではないかというふうに認識をしております。国の予算総額、御承知のとおり、一般会計で、平成二十七年度九十六兆円でございますけれども、これはもちろん各省がやっておるわけですが、予算を取りまとめる財務省においては主計局が主にやっておりますが、これは大体百人規模のチームでやっておられます。この百人で、一般会計だけでもこの百兆円という規模は非常に大きいのではないかというふうに考えております。
ページを開けていただきまして三ページでございますが、地方における財政上の課題とございますが、その次の四ページの円グラフを御覧いただきますと、予算面から我々がどういうふうになっているかということですが、この赤くぐるっと矢印で囲んでありますように、これ広島県の例で見ますと、一般財源ベースで平成二十六年度歳出六千八百六十一億円ございますが、そのうちの八六%が国の法令等の関与がある経費でございます。この右の方に人件費がありますが、法令等により配置基準が定められた人件費、教職員あるいは警察官、それから、左の方にありますが、福祉関係費、あるいは税の交付金、その他法令等により義務付けられた経費が非常に大きくございます。
私どもが自由になる経費というのが右下の方にある地方の政策的経費でありますが、これが人件費とそれから政策的経費、合わせて一千億円程度しかないということでございまして、広島県の一般会計は約一兆円弱でございますが、そのうち本当の意味で自由になるのはこれぐらいしかないと。しかも、その政策的経費、八百三十億円ありますが、そのうち私学振興費が百五十億円、公共事業費が百五十億円ということで、これは大きくまた変更するというのは困難な事実上の状況もございまして、そういう意味で、本当に自由になるお金というのが非常に少ないと。
これが、別途、事前にお届けさせていただきました一割自治という紙をお配りしておりますけれども、その一割自治という意味であります。財源から見たら、我々が自由になる、本当の意味で自治ができるというのはこの一割しかないと。この中で、例えば子育てであるとか様々な施策を実行しているということであります。
それでは、解決に向けた方向性ということで考えておることでありますが、五ページを開けていただきまして、大きくやはり重要なのは、真の地方創生の実現に向けた新しい成長モデルをつくっていくべきではないかということで、そのためには多様性が必要なのではないかと。それから、一番上の四角にございますが、この今の東京一極集中で経済活動が非常に集中しているわけですが、そういったことのリスク分散、災害などのリスク分散が必要なのではないかということ。そういった経済機能、あるいはこの権限、財源を分散することによって、多様性を生み出して更なる活力と競争力をつくっていくべきではないかというふうに考えております。そのために、国と地方の役割分担を抜本的に見直して、国としては本来取り組むべき課題への集中的な対応を行い、地方がまさに自らの発想と創意工夫によって魅力ある地域づくりに効果的に取り組むことができるような体制を取るべきではないかと。それから、国の予算も管理可能な規模に適正化をすることによって、財政再建にも資するのではないかというふうに考えております。
そういったことから、私ども地方分権型道州制というのを進めるべきだという考えを取っておるわけでありますが、七ページ、八ページを御覧いただきまして、それでは、分権型道州制として我々が考えているものはどういうものかということでありますが、まず目的としては、よく道州制であるとか地方の制度について、地方をどうするかという観点から議論されることが多いと思っておりますが、私どもとしては、これは地方の問題だけではなくて国全体の活力と競争力を生み出す、そのために道州制というものを導入するということではないかというふうに考えております。そして、この役割分担を見直すことによって、国と地方双方の行政の機能を強化をして、住民に対する、国民に対するサービスを向上するということを目的とするべきではないかというふうに考えております。
まためくっていただきまして、九ページ、十ページですが、それでは道州制の効果としてどういうものを狙っていくかということでありますが、まず国が本来取り組むべき国でしか取り組むことができない課題、外交であるとか防衛、あるいはマクロ経済、年金、大規模災害への対応等々ですが、こういったものに集中的に対応できるようにするということ。そして、地方ではそれぞれの地域の実情やニーズに的確に応えることができる、それによって住民サービスを向上するということ。それから、先ほども少し触れましたように、国と地方の財政支出を適正化をしていくということ。それから、大規模災害時のリスクを分散していくといったような効果を期待しております。
またおめくりいただきまして、十一、十二になりますが、それではどういう役割分担があるべきなのかということで、これは今のところから導き出されるわけですが、国と地方の役割分担を抜本的に見直して、国は国が最低限担うべき役割を担うと。逆に言うと、それ以外は住民に身近な地方が担うべきではないかということ。そして、その運営に当たっては、地方が多様性であるとか独自性を発揮し得る自立した行政の権限を持つということにするべきではないかというふうに考えております。
十三ページ、十四ページは、これは若干参考までに、現在の国と都道府県、市町村の役割から新たな道州制でどういう役割分担にすべきかという表でありますが、これは私どもが試作をしたものでありますので、また後ほど御覧いただければというふうに思います。
そして、十五ページ、十六ページになりますが、税財源の移譲と権限強化ということで、まず税制についても、やはり抜本的に見直すということで、国と地方の役割に見合った財源を確保できるように財源を最適配分するべきではないかというふうに考えております。よく言われる三割自治というのが地方税が三五%あるということでありますが、実際の業務に見合った税源を地方が確実に的確に持つ、それをどう使うかというのは地方に任せるといったようなことが必要ではないかということであります。
それからもう一点が、地方が多様性や独自性を発揮するために、地方の、ここは自治立法権というふうに書いておりまして、これはいろいろお感じになられる向きもあるかもしれませんけれども、いずれにしても、条例において定められることができる範囲を大幅に拡大をすると。そして課税自主権、どういったものに課税をするかといったことについても拡大強化を図るべきではないかということであります。
こういったことを目指した地方分権型道州制ということを導入することによりまして、多様性、今我々もイノベーションというものをいかに進めるかということを地方でも取り組んでおりますし、国においても、いわゆる今の国の政策である第三の矢という部分、これはイノベーションと大きく関わるところでありますが、イノベーションを生んでいくためには多様性が必要であるということは、これは様々な研究の結果、かなり確立した見解ではないかというふうに思いますが、現状は非常に画一、多様性のない社会に日本はなっているんではないかと。それが日本の特に経済力、産業力の停滞の原因の一つではないかというのが認識としてございまして、そこを抜本的に打開していくために国の中に多様性を生んでいく、そのためにこの道州制というものも大いに役に立つのではないかというような認識でございます。
私からの発表は以上でございます。
ありがとうございました。
〇会長(山崎力君) ありがとうございました。
次に、神野参考人にお願いしたいと存じます。神野参考人。
〇参考人(神野直彦君) 神野でございます。よろしくお願いいたします。
私、目が不自由なものですので、皆様方に御無礼があるかもしれません。御寛容いただければと存じます。
さらに、私、財政学を専攻しておりまして、統治機構等々、この調査会で検討される内容についてお役に立てる話をどれだけできるか大変自信がございません。ただ、私、地方分権改革にずっと携わってまいりましたので、そうした経験に基づいて、地方分権改革の昨日、今日、あしたというようなことを見通しながら、国と地方の役割分担についての所見を述べさせていただければというふうに考えております。
私の専攻しております財政学という立場からいきますと、地方分権改革あるいは国の統治機構の改革については、これは日本だけではなく、一九八〇年代頃から先進諸国で共通に起きてきた課題だというふうに考えております。それは、経済のボーダーレス化とかグローバル化と言われる現象と密接に結び付いているというふうに私は考えておりまして、そのことは、グローカリゼーション、これ英和辞典引いていただけるともう既に存在しておりますので、グローバル化とローカル化ということを合成した言葉であるグローカリゼーションという言葉が象徴的に表しているのではないかというふうに考えております。
ヨーロッパでは、経済のグローバル化に対応して国民国家を超えるEUという超国家機関をつくって対応すると同時に、一九八五年にヨーロッパ地方自治憲章を制定して地方分権を推進していくということを実施いたします。このヨーロッパ地方自治憲章が世界的に地方分権の潮流を巻き起こしていく契機になったというふうに考えてございます。つまり、ボーダーレス化、グローバル化に対応した国民国家の機能を上方と下方に分岐していくような動きが生じ始めたというふうに言っていいのではないかと思います。
どうしてこういうことが生じ始めるのかといいますと、第二次世界大戦後、先進諸国はこぞって福祉国家を目指し始めました。この福祉国家というのは所得再分配国家というふうに言っていいかと思いますが、所得再分配というのは、生産要素、土地、労働、資本、これを管理していないと所得再分配できません。そこで、第二次世界大戦後の福祉国家の下では、アメリカがつくり上げ、アメリカが覇権国となったブレトンウッズ体制という下で固定為替相場制度を維持し、これを維持するためには、資本をコントロールできない、権限を国民国家がないとできませんので、国民国家が所得再分配する権利を認めるために資本の動きをコントロールする権限を認めてきた、こういうふうに言っていいだろうと思います。
ところが、このブレトンウッズ体制が崩れ始め、そして一九七三年に固定為替相場制度が最終的に崩壊いたします。そうすると、金融の自由化、つまり、資本は国境を越えて自由に動き回るわけですね。これがグローバリゼーションという正体だというふうに私は考えております。生産物の移動というのは十九世紀にもしょっちゅう起こっているわけですけれども、重要なポイントは、資本が自由に動き始めた。
こうしたことは国と地方自治体との役割にどういう影響を及ぼしてくるのかといいますと、中央政府、つまり国民国家が所得再分配が困難になってきます。経済はボーダーレス化、グローバル化するんですけれども、国民の生活というのは地域に結び付いて密着しておりますので、それを守る機能を地方自治体に担わせようという動きが生じてくるわけですね。もちろん、地方自治体はそもそも国境を管理していない政府ですから、地方自治体は何かといえば、それは国境を管理しない出入り自由な、入退自由な政府を私たちは地方自治体と呼んでいるわけで、そもそもできないわけですけれども、逆に、サービス給付、現物給付は、これは地方自治体にしかできません。国家にはできないんですね。
お手元の参考資料の一枚目を見ていただければと思いますけれども、資料一と書いたところですが、これは、財政学のテキストブックをお開きいただければ、財政には三つの機能がありますよ、資源配分機能、所得再分配機能、経済安定化機能、この三つの機能がありますよと。資源配分機能、これ公共財を提供する機能、公共サービスを提供する機能なんですが、これは、国家は国家公共財を出し、地方自治体は地方公共財を提供するというふうに国も地方も担うんだけれども、所得再分配機能とか経済安定化機能は担いませんと。つまり、地方自治体は担わない、それは国境を管理できないからですね。
ところが、その所得再分配機能や経済安定化機能が経済のグローバル化によってうまく機能しなくなりますので、そこで準私的財、割当て可能なサービスですね、教育とか医療とか福祉などの準私的財を地方自治体にサービス給付として提供させることによって所得再分配機能、中央政府は弱くなりますので、そうした機能を分担させていこうという動きが出てくる。これが、ヨーロッパで起きてくる、上と下に政府の機能を、国民国家の機能を分担させていこうという動きだったというふうに理解をいたしております。
そこでもって、これまで日本は二十年間にわたって地方分権改革を行ってきたわけですが、それを振り返ってみますと、地方分権改革は一九九三年の国会決議、これは全会一致です、衆参両院とも。これは、ゆとりと豊かさの実感できる社会を掲げてスタートするわけですけれども、既に一九九〇年代には第三次行革審ができまして、これが地方分権を打ち出してきます。
同時に、一九八九年にゴールドプラン、一九九四年にエンゼルプランができてきます。これは、日本が福祉国家を目指し始めるのは一九七三年の福祉元年と言われた年ですけれども、この現金給付による所得再分配機能を、エンゼルプラン、ゴールドプラン、つまりサービス給付を強化することによって補強していこうという動きが出てくるわけですね。そうした動きと絡み合いながら地方分権を推進していくという動きが出てくるということです。
これは、地方分権改革の動きについてはこれまでもこちらで御議論されたと思いますので、三位一体改革という税財源の改革を挟んで、第一次分権改革、第二次分権改革ということを行ってまいりました。そこで、第一次分権改革、つまり地方分権推進委員会が行った勧告を受けて一括法ができ、その後の第二次勧告というのは、地方分権改革が付くわけですが推進委員会が行った四次にわたる勧告を受けて行われたものです。
私、地方分権改革有識者会議の座長を今務めさせていただいておりますが、この四次にわたる勧告で一応やり残したものを、四次にわたる一括法として一応検討されたものについては結論を見ましたので、私ども有識者会議は、これは地方分権の前担当大臣でいらっしゃいました新藤前大臣の指示の下に、二十年間にわたる地方分権改革を総括をして新たな地方分権の手法で改革を進めようというふうに考えました。これは、必ずしも日本国民はまだゆとりと豊かさが実感できる社会を享受しているわけではなく、今後ともこの使命を果たしていく必要があるだろうというふうに考えているからでございます。
やり方を大きく変えました。それは、既に二十年にわたって制度改革についてはかなり前進を見ておりましたので、むしろ、この改革を使って地方自治体に実際に様々な公共サービスを提供してもらう。実際にやってみて、どこが実際に具体的に障害になっているのか、つまり、動かしてみて、できないところをきちっとやっていく。場合によっては、もちろん全制度的な改革が必要な場合にはそちらに打って出るわけですけれども、取りあえず何が桎梏になって何ができないかという実践と組み合わせるべきで、したがって、改革は下からの改革をすべきだという方向に考えております。
これまでのように、国に委員会等々をつくって集中的に分権改革を進めるというのではなく、地方自治体から、これは地方自治体のイニシアティブというよりも国民のというふうに言った方がいいかもしれませんが、住民からの、下からのイニシアティブでもって、提案方式というのは制度改革を具体的に提案してもらうということですね。それと、権限の移譲等々については、いずれ全体に行うにしても、まずできるところをやってみて、それを突破口に広範に広げていこうという手挙げ方式、この二つを組み合わせて分権改革を進めているところでございます。
この二十年間の分権改革を展望してみますと、お手元の資料でもって、二枚目をお開きいただければと思いますが、この資料を見ていただくと、黒い部分が公共サービスのうち地方公共団体、地方自治体が提供しているサービスですね、上の白い部分が国が提供しているサービスです。最終的なベースでいくと、地方が公共サービスの六割を提供し、国の方は四割しか提供していない。明らかに日本では地方公共団体が主として公共サービスを提供しているのですが、このサービスの提供に当たって中央政府が関与をしているということですね。決定と執行というふうに分けると、執行は確かに地方自治体がやっているんだけれども、地方自治体に決定権限がないと。
私は、日本の政府間財政関係は集権的分散システムというふうに規定しておりますが、集権か分権かというのは、決定権限が地方にあるか国にあるか、国にあれば集権、地方にあれば分権というふうに考えると、明らかに日本は公共サービスの提供方式は集権的であると。公共サービスを中央政府が主として出していれば集中といい、主として地方自治体が出していれば分散といえば、明らかに日本のシステムは分散システムなので、日本の政府間財政関係は集権的分散システムであると。これを分権的分散システムに変えていくということが日本における地方分権改革の任務なのではないかというふうに考えております。
制度的な改正ではかなり前進を見たので、地方自治体がこれを活用する段階にあるのだというふうに申し上げましたけれども、日本でまだまだ国民がゆとりと豊かさを実感していない主要な原因の一つは、お手元資料三を見ていただきたいと思いますが、この資料三の棒グラフで、一番下の棒グラフが高齢者現金と書いてありますが、これは年金と理解していただいて構いません。その次の保健医療と書いてあるのが、下から二番目のものですが、これは疾病保険、医療保険というふうに考えていただければと思います。日本の社会保障の特色は、年金と医療保険はまあまあなんだけれども、あるいは進んでいるんだけれども、その他がないということです。
その他の重要な点は何かというと、家族現金というのは、これは児童手当、子ども手当と言われているものですね、それから高齢者現物、これは高齢者福祉サービスですね、これが余り出ていかない。それからもう一つ家族現物、これは保育のサービスですね、育児サービス、これも出ていっていないと。つまり、地方自治体が責任を負うべきサービス給付が出ていっていないんです。もちろん重要な原因は、なかなか保育園を造るのにもいろいろ規制があって難しいとかということもありますが、財源がないということが非常に大きな理由になるわけですね。
この財源については、どうしてないのかということなんですが、最後の資料四を見ていただければと思います。これは、国、地方を通じる租税負担です。一番上が全租税負担ですね。これ見ていただくと、OECD諸国、先進諸国と、まあ先進諸国じゃないのも入っていますが、OECD加盟国の租税負担率を見ていただきますと、一貫して上昇しているんです。福祉国家では、所得税と法人課税、所得税がOECDでいうと一番上ですね、一番下が法人課税なんですが、これを崩さずに、日本でいうと消費税、付加価値税を上げていっているんです。先ほど言いましたけれども、一九八〇年代頃から地方分権改革をしていっても税負担上げていっていますから、それに必要な財源は出ていくんですね。ところが、日本は、先ほどお話をいたしましたように、一九九〇年代から分権改革するんです。分権改革をすると、時を同じくして税負担率を急速に下げていくんです。
私は、地方への税源移譲をずっと主張してきましたけれども、もう税源移譲とかというような問題ではなくて、国税がどんどん減っていきますから、財政調整制度の財源がどんどんなくなっていって、一般財源、自由に使える財源というのは地方税とそれから交付税、使い道の自由な二つから成り立っているわけですけれども、両方併せた一般財源を保障できないような状態になってくると。現在、一般財源はそれほど落ちていませんけれども、それでも横ばいなんですね。これがゆとりも豊かさも実感できない重要な原因であり、地方分権改革で、これは私の責任が非常に大きいのですけれども、財源面での改革が進んでいない、その大きな従因は国、地方を通じる租税負担が上がっていないんだということだと思います。
取りあえず、私の発表はこれにて終わらせていただきます。
どうも御清聴ありがとうございました。
〇会長(山崎力君) ありがとうございました。
次に、秋月参考人にお願いいたします。秋月参考人。
〇参考人(秋月謙吾君) 京都大学の秋月でございます。よろしくお願いいたします。
と申しますけれども、私、水曜日に講義がないという単純な理由でお引受けをしたのですけれども、他の参考人のお名前を聞いて、もうちょっと頭がくらっときまして、湯崎知事のようにいろいろと実務にも精通しておられる、中央、地方にわたる実務に精通しておられる方、それから、神野参考人のように各種の審議会をリードされ、あるいは構想を具体的に提言されておられる先生でありますので、私のような一介の研究者は、正直言いまして、我が京大法学部が大リーグ、アメリカンリーグの東地区に無理やり編入されたようなそんな状態であるという感じで、何か大変戸惑っております。
ただ、そのような一介の研究者では何ができるかということでありますが、まず私、第一に、全く実務に関係がないかというと、そのようなことは必ずしもございませんで、自分でもちょっとびっくりした、振り返ってみると驚いたんですけれども、特に国と地方の役割であるとか地方分権とかということに関して言いますと、世界銀行で仕事をさせていただいたり、あるいはJICAのタイにおける地方分権、特に自治体間協力のプロジェクトに参画させていただいたり、それから、今独立しましたけど当時はユーゴスラビアの一部であったコソボ自治州における地方自治及び憲法体制についても、短期間でありますけど関与させていただいたと。先ほどの神野参考人のボーダーレス化、国際化というのが一介の研究者にも襲ってきたのかなというような思いをしております。
そのような私がこのような場に出させていただいて何ができるのかということですけれども、インフォメーション、情報をお出しするということに関して言うと、皆様方にはそれぞれ優秀なスタッフやら政党のスタッフあるいは官僚機構が控えておりますので、そのようなことは到底かなわないと。また、ノレッジ、知識というのも多分違うだろうと。じゃ、何ができるかというと、まあパースペクティブといいますか、幾何学の一見難しい問題に一本の補助線を引くと、ああ、こういうことなのかというようなことを、もしも多少でもお示しできたらというふうに考えているわけであります。
レジュメをちょっと見ていただきたいと思います。一枚だけの簡単なもので大変恐縮でございます。
まず第一に強調しておきたいのは、いわゆる記述的な論議、これこれこうですよと、例えば、私は今日京都から新幹線で来ましたというようなことと、それから規範的な論議、飛行機より新幹線の方がエコですから絶対新幹線で来なきゃいけませんよねという、このモデルというのは当然違うわけでありますが、しかしながら、実際はしばしばこれが混同、場合によっては意図的に混同されると。これは、少なくとも研究者としてはできるだけ峻別しなければいけないと。どうしても混じってしまう、例えば私ができるだけ規範的な論議はしてはいけないということを言うということはこれ自体が自己矛盾でありまして、一種の規範を自分で言っているわけですから、ということになってしまうわけですけれども、そういうふうな考え方というのを基本的には取っております。
これは大分昔のウエブの記事なんですけれども、簡単にお目通しをいただきたいと思います。改めて読み上げるようなことはいたしません。ロンドン市長選において、リビングストン、今はボリスという人がやっておりますけど、ケン・リビングストンという労働党左派の方がブレアの鼻を明かすような形で勝ったというときの毎日新聞の記事であります。これは淡々と事実を述べていて、誰が勝った、得票率は何%だったというだけの記事に見えるかもしれません。しかし、これはよく学生に私見せるんですが、この中に実は重大な一種の規範というようなものが隠れているんですね。
それは何かということをちょっとお考えいただきたいんですが、それは要するに、簡単に申し上げますと、普通、選挙の報道で、誰々が勝った、得票率は何%だった以外に投票率のデータというのが普通出るはずなんですね。ところが、この記事には投票率が何%であったかということが出ておりません。これ、たしか、日経と読売で調べましたけど、どの新聞記事にも実は載ってなかったんですね。
で、当時たまたまイギリスに住んでいた、留学していた同僚がいましたので聞いてみますと、うんとね、概数だけど三〇%ちょいというふうに言っていたんですね。これは実は、初めてこの新しい制度、第一回におけるグレーター・ロンドンの市長の選挙で、歴史的な選挙で重要な選挙だったわけです。話題もさらいました。しかし、実際ロンドン市民の三割しか投票に行かなかったということであります。
これが何で書かれていなかったのかということについて思いを致すと、当時、その頃例えば日本の投票率が五割を切りかけているからやばいぞとか、こんなの民主主義じゃねえとかいうような議論で、もっと上げようみたいなキャンペーンをマスコミを中心に張っておりました。彼らにとっては、民主主義の母国における首都の重要な選挙の投票率が三割であるということは誠に不都合な真実なわけです。ですから、もしも特派員が書いていたとしても多分デスクが落としたんだろうと。これは私の邪推かもしれませんけれども、そういうふうな規範意識が隠れているということを常々申し上げております。
それから、二の、制度としての面白さというのが設計の難しさにつながるという話でありますが、例として市制特例ということを挙げておきました。これも簡単に内容を御紹介します。下にありますので、御承知の方も多いと思いますけれども、簡単にお目通しを願いたいと思います。
それは何を言っているかといいますと、要するに、東京と大阪と京都は特別で重要だから、明治の地方自治という天皇の恩典である自治というものの例外として市長を選べない、その代わり知事が市長の役をやるんだと、そういう制度であります。私、昔の記録を見ておりますと、これは、京都の市民、町衆はもう激怒に次ぐ激怒でございまして、伏見村の連中が自治やっているのに俺たちに何でできねえんだみたいなことを真剣に怒りまくっているんですね。東京と大阪の方はそれほどでもなかったと思います。京都の人が一番怒ったような感じがいたします。
京都の市民は何をしたかというと、これを、何というんでしょうか、東京、大阪と連携をしながら、帝国議会に諮りながら、中央政府に諮りながら、内務省に、そして自治体に代役をしている知事に北垣国道という名知事がいましたけれども、その知事なんかを通じながら、この制度を何とかやめてくれと、そして九年間掛かって廃止というところに行ったということでございます。
この例を挙げましたのはどういうことかといいますと、京都の市民が、要するに、市役所ができる前に自分たちで自治をやっていた。逆に言うと、日本中の三都市以外の都市は天皇の文字どおりの恩典、ギフトとして自治をやっていたのに対して、京都の市民は文字どおりそれを勝ち取ったということになるわけであります。
要するに、これって、変な言い方ですけれども、悪い制度ほどいいのかという、もちろんそんなことはありません。京都市民にとってはとんでもない悪い制度で、それを変えただけなんです。しかし、それは京都の歴史にとってはある意味自治における輝かしい瞬間であったというふうにも言えるわけで、これが制度のある種の矛盾であると。研究者としては面白いんだけれども、実際に制度をつくられる皆様にとっては難しいということをちょっと申し上げておきました。
そうはいいながら、具体的な地方分権論議について幾つかの問題点をちょっと指摘して、私のお話を終えたいと思います。
まず第一に、過度な分権化ということでございますけれども、一つだけ例を挙げておきますけれども、よく分権の議論をするときに、国は外交、防衛だけに特化して、身近なものをという湯崎知事のお話がありましたけれども、その他は全部地方にやらしたらいいんだというような議論をする。これは、運動論としてのスローガンとしては説得力がある場合もありますが、具体的には、役割論議として、例えば今日の湯崎知事が具体的に出されました項目なんかを見ておりますと、そのような単純な議論をされていないので大変私も興味深くお聞きしたんですけれども。
例えば、現在の沖縄の状態というのは、各党の皆様のお立場の下で大変御苦労されているというふうに拝察するわけですけれども、例えば、あれは安全保障と外交の問題だから国がやるんだよね、沖縄県や地元自治体は黙っていろよという話になりかねないわけですが、もちろん現実はそうではありません。なぜかというと、当たり前ですが、基地というものは、安全保障、アメリカとの関係であるとか外交の関係のものだけではなくて、経済的な影響、労働問題、治安問題、その他もろもろの地方自治体にとっての緊喫の課題というものを投げかけるから沖縄県も地元自治体もそれなりにいろいろと御発言をなさる、運動もなさるということだろうと思います。このような単純化というのはいけないというふうに私は考えております。
最後に、具体的な変化の方向というのについて、私は補助線を引くので、矢印は、具体的な構想を持っているわけではありませんが、その中でも一つだけやはり今後の改革の方向性として必要なものとしては、制度の多様化というのを挙げておきたいと思います。
例えば、アメリカにおいては、シティーマネジャー制、もし御質問がありましたらお答えしますけれども、というなかなか面白い制度を持っていて、これをイギリスなんかも一部で採用し、イギリスなどでも自分たちの自治体の体制、制度、誰を選挙で選ぶのか、議会はどういう構想にするのか、役割分担はどうするのかということを自ら選択できるようになっております。
シティーマネジャー制度については、日本でも一部の自治体がそれに類似した制度を取ろうとしたんですけれども、憲法及び地方自治法の壁というので、なかなかそれは難しいということが言えます。
成熟された社会に突入している日本にとりましては、具体的なこういう権限を与えるということも非常に重要なんですけど、それだけではなくて、どのようなシステムで自治体を運営していくかということについて、今よりは少なくとももう少し柔軟に、そして住民がそれを自分たちの自治を考えるスターティングポイントとして多様性を許容するという方向性がやはり必要なのではないかというふうに私としては考えております。
以上でございます。ありがとうございました。
三人の参考人の皆さんには、今日御出席いただきまして、貴重な御意見をありがとうございました。そこで、お三方に二つまとめてお聞きしたいと思うんです。
一点が、この間の権限移譲、これが地方自治の目的でもある住民の福祉の増進につながったというふうにお考えなのかどうか。もう一点は、地方自治体にとっては、国の権限移譲で伴わないのが財源だということで、同時に行われた三位一体改革というのは本当に大きな影響があったと思うんですけれども、この権限移譲と三位一体改革がどんな影響を与えたのかということでの評価をお聞きしたいと思います。
お願いします。
〇参考人(秋月謙吾君) 先ほどもちょっと似たような答えをしてしまったんですが、地方自治体に対してかなり大きなインパクトがあったことは疑いがないということと、やはりこれまでの議論で出ていますように、税源移譲というものが必ずしも十分でなかった点、これは今後もやっぱり継続的に努力していただかなきゃならないという点はあるんですけれども、トータルで見たときに、これが日本の地方自治及び地方自治体及び中央、地方関係に対してどのようなインパクトがあったのか、良かったのか悪かったのかということについては、本当に申し訳ないですけれども、繰り返しになりますが、まだ分かりません。もう少し見てみたいというのが研究者としての本音であります。その上で、やはり住民の直接のサービス向上につながったのかどうかということについても、私は十分にやはりまだ検証できていない面があるのではないかというふうに考えております。
住民というのは、まあ言ってみたら気楽なものでありまして、極論しますと、例えば自分の子弟を私立高校に行かすか、県立高校に行かすかと。まあどっちでもいいじゃん、いい高校だったらどっちでもいいよねと。要するに、サービスの提供の市が、例えば倉林議員は京都府選出ですから、京都府と京都市のどちらであっても、極論すればいいと。
例えば、私が知り合いの京都の中小企業のオーナーさんは、この前は府の補助金をもらって低利で借りたから、今度は市から借りてやろうみたいなことをおっしゃるわけですね。これは、ある意味二重行政の弊害だ、窓口がダブルになっているというんですけれども、ユーザーにとってはいいと。これを一本化して市町村に落とすというのがまさに権限移譲なわけですけれども、それが住民の直接の利便になっているのか、プラスになっているのか、住民は喜んでいるのかということについてはまだ十分に検証されていない。場合によってはマイナスの可能性もあり得るんだ、先ほどの中小企業の論理からいきますと、府で借りれた、市でも借りれた、これを権限移譲で市に一本化すると何か不都合だよねというか、困ったよねということになりかねないということがあるんだろうと思います。
ですから、済みません、もっと早く答えを出せと言われたらそうなんですけれども、私としては、今回の地方分権改革、三位一体改革、いずれについても、もう少し長期的にインパクトを見定めて、それは国会におかれましても、それから我々のようなアカデミアにおいても、違う見方かもしれませんけれども、検証を続けていく努力が必要だというのが私の現在の見解でございます。
以上でございます。
〇参考人(湯崎英彦君) まず、権限移譲が実際の住民の福祉の向上につながったのかという点につきましては、これは確かにつながっている面はあると思います。これは都道府県から市町村へ権限移譲していったという部分も含めてございます。ただ、それをどういうレベルで捉えるかというところがあると思っていまして、少なくとも前進ではありますが、例えばパスポートの発行とかというのを今、広島では各市町村が窓口になってやっているわけですが、従来であれば広島市まで来ないと発行できなかったのがもう今は市町村でできますと、これは非常にサービスの向上につながっていますよね。
ただ、全体で見れば、先ほども申し上げたように、法律の枠組みというのは変わらないわけですね。したがって、違いが出せる範囲というのは非常に限定的でありまして、例えば、従来であれば大臣が意思決定をしていたことと、それから都道府県知事が意思決定をしてきたことというふうに変わるわけですけれども、それが合理的な判断をする機関としてそんなに大きく変わるかというと、そうめちゃくちゃは変わらないわけですね、基本的には。どちらも合理的に動こうとしていますから、多少時間が早いとかいろんなことはありますけれども、根本から変わるというようなことはありません。
したがって、これは難しい問題だなと。だから、根本のところを変えないと、もっと根本的な意味での住民福祉、それは住民自身がやはりその選択をできるというレベルまで落ち込んでいく、つまり、自らがこの地方自治というような制度を通じていろんなことにコントロールを及ぼすことができるというレベルまで来ないと、なかなか抜本的な変化にはならないんじゃないかなというふうに感じます。
それから、三位一体は明らかに非常に悪い影響を与えています。先ほど自由になる財源が一割ぐらいだというふうに申し上げましたけれども、これは年々減っています。十数年前、十五、六年前は、我々が自由になるお金は千五、六百億ぐらいありました。それが、一つは三位一体改革で大きく削られました。それから、福祉関連の費用というのは法的に義務付けられていて、それが非常に大きくなっている。中でも地方財政というのはフラットに来ていますから、その中のを組み替えるわけですね。ということは、我々がまさに地方独自の政策として打ち出していた政策費用を削って義務的経費に回しているわけでありまして、ますます我々の自治というのは奪われているというのが現状であります。
〇参考人(神野直彦君) 権限移譲については、これまでの地方分権改革、既に先ほどお話をいたしましたように、日本ではかなり地方自治体がもう仕事をやっていますので、そこに関する関与を縮小、廃止してくれ、ここに二次にわたる改革は重点を置いてきました。したがって、今知事がおっしゃったように、権限移譲、つまり関与縮小に重点を置いてきましたので、権限移譲でも、サービスそのものが増えるというよりも、パスポートとかそれから道路の勾配とかいろいろ良くなって、かなり地域の生活に役立つようなことが起きているかというふうに思います。
ただ、分権の目的の重要な点は、これまで家族や地域社会で担ってきた様々なサービスが地方自治体の自主的な判断でできるということかと思っておりますので、その点について言うと財源が問題になると。その財源の改革であった三位一体改革はどうだったのかということでありますけれども、これは私の責任で目的とは逆の方向になってしまったということは先ほど申し上げたとおりです。
分権というのは、自由に使える財源を地方自治体につくって、それによって住民の参加の下にどういうサービスに自分たちの地域ではどれだけ費やしたらいいかということを決定できるということにすることですよね。ところが、日本で行われている補助金、つまり各省庁が出す補助金でいえば、言わば図書券であげるようなものですよね。使い道を指定して、地方自治体に任せると何に使うか分からないから図書券で使い道を限定して出しますよということですよね。
ところが、一般財源、つまり自由に使える財源ということで渡そうとすれば、交付税という自由に使える財源があるんですけれども、これは、子供も大きくなったから、お小遣いをやるのでこれで自由に使いなさいと言っているようなものなわけですよね。真に地方自治体が自立するのには、やはり自分の生活の糧は自分で稼ぐということが軸にならなくちゃいけないので、一般財源そのものを増やすために、今までのように交付税を増やすということよりも、自主財源である地方税を増やすことによって一般財源、つまり地方税プラス交付税を増やそうというのがそもそも意図だったと思います。少なくとも三位一体改革に関与した私の意図でした。
ところが、結果はどうなったのかというと、三兆円税源移譲をする代わりに四兆円補助金を蹴る。まあ、ここぐらいまではいいですよね。自由に使える財源になったんだから、使い道を限定している財源については減りますよね、いいですよねと、こう言われたと。つまり、四兆円削って三兆円増やしたわけですね。
ここまでは私も発言できる機会があったんですけれども、その外側で五兆円交付税減らされたんですね。すると、一般財源全部でいうと八兆円減っちゃっているわけですので、これは、つまり自主財源を増やして一般財源を増やしていくということにはならなかったと。無力だからとかいうことは理由になりませんので、全て関与した者である私の責任なんですけれども、結局設定した目的とは逆な結果になってしまったというふうに思います。
〇倉林明子君 神野参考人に、続きのお話になろうかと思うんですけれども、先ほど、最初の意見陳述の最終部分がちょっと割愛されたかと思うんですね。ページで言えば三ページ目の最後の四、五、六の辺りなんですけれども、税負担水準の引き上げる税制改革が望まれると。財源保障されればゆとりと豊かさを実感できる社会が実現できると確信しているということが書かれているんだけれども、税制改革もその中身が一体どういうことでここではおっしゃられているのか。格差拡大というような方向も含めて今いろんな議論もあるわけですよね、どこがどう負担するのかと。地方の自主財源というお考えはお示しになったんだけれども、ここでお示しされている税制改革について、もう少し追加的な御説明をいただければと思います。
〇参考人(神野直彦君) 私は、現代の税制における基幹税、租税体系というのは基幹税を軸に補完税で組み合わせるんですね。福祉国家のときは所得税、法人税中心税制だったんだけれども、各国とも、先進諸国はそれを言わば消費税というか付加価値税で補強していこうという方針を取っておりますので、現在では二つの基幹税、所得税と消費税という二つの基幹税があるかと思うんですね。私は、この基幹税については国と地方で、まあ少なくとも半々ぐらいで分け合っていいのではないかというふうに思っています。
これは逆のこともあります。例えば、スウェーデンなんかは所得税は全部地方、それから付加価値税は全部国というふうに分けている国もありますので、どっちかを持たすということはないわけではありませんが、地域間格差等々を踏まえれば、お互いにとか半々で持つのがいいのではないかと思うんですね。
ただ、先ほど言いましたように、先生がおっしゃったように自主財源を増やすと格差拡大するわけです。したがって、必然的に財政調整制度、フィスカル・イクウェルゼーション制度が必要ですので、ここで国税による再分配が必要になってきますから、国税を減らすわけにはいかないんですね。そうすると、全体で増税をしていくということにならざるを得ないと思っています。
ただ、全体増税しますよということに国民が応じるかということなんですが、応じる国というのは、公共サービスの有り難み、これが実感できているかどうかなんですね。増税はしたんですけれども生活を支えるサービスがこんなに出てくるんだったらいいんじゃないかと。
したがって、ここに書いたのは、やはり分権で身近なところからちゃんとサービスとして出ていっていますねということを実感すれば、住民は、国民は増税にも応じる。これは世論調査をしても明らかです。教育とかそれから保育とか、そういうサービスを具体的に増やすんだけど増税に応じるかというと、日本ではなかなかそういう研究は少ないんですが、そういう生活を支えてくれるサービスであれば増税に応じるというのが普通ですので、これは鶏か卵かどっちが先かということになるんですが、実感しないと応じない。
私は、少なくとも中産階級の生活を公共サービスが支えていると。余り教育のことを言うと、教育だけということになりますが、スウェーデンとかヨーロッパの国々では、教育というのは家計の支出に出てきません、元々ただですから。ところが、日本では教育費というのがえらい家計簿の重要な、何というのかな、負担になっているんですね。これだと、なかなか増税に応じてくれない。どっちが先かというような問題はありますけれども、やはりいい循環を繰り返していかないと無理かなというふうに考えています。
〇倉林明子君 ありがとうございました。
- 日時
- 2024/11/21(木)
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