倉林明子

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平成の大合併”失敗 倉林議員質問に参考人(国の統治機構に関する調査会 参考人質疑)

2015/03/04

 参院・国の統治機構に関する調査会は4日、「国と地方の関係(これからの地方自治)」をテーマに参考人質疑を行いました。
 日本共産党の倉林明子議員は、”平成の大合併と「三位一体改革」(補助金の廃止・削減、地方への税源移譲、地方交付税の見直し)が与えて影響と道州制について参考人の見解を問いました。

 毎日新聞論説委員の人羅格(ひとら・ただし)氏は倉林議員の問いに「地域住民からすれば、市町村合併のメリットが感じられず、何のための合併だったのかという印象が残った」と答えました。

 東京大学名誉教授の西尾勝氏は「当時は合併を推進する立場だったが、結果を見ると大失敗だったと言わざるをえない。それぞれの地域の自治を守る方策を考えるべきだった」と述べました。
 さらに西尾氏は、自身を道州制の慎重論者だと述べたうえで、「現在、国会で議論されている道州制議論には反対だ」と表明。「何でも自治体に権限をおろせばいいというものではない。国に残す権限と地方自治体におろす権限の分け方をしっかり考えるべきだ」「自治体数が多すぎるのでさらなる合併を進めようという議論は非現実的。平成の大合併の失敗を繰り返すことになり、地方自治体からの反発は避けられない」と苦言を呈しました。

議事録を読む(参考人意見)
第189回国会 国の統治機構に関する調査会 第1号  2015年3月4日(水曜日)
国の統治機構等に関する調査(「時代の変化に対応した国の統治機構の在り方」のうち、国と地方の関係(これからの地方自治))

〇会長(山崎力君) 国の統治機構等に関する調査を議題といたします。
「時代の変化に対応した国の統治機構の在り方」のうち、「国と地方の関係」について調査を行うに当たって、本日は「これからの地方自治」について参考人から意見を聴取いたします。
御出席いただいております参考人は、東京大学名誉教授・地方公共団体情報システム機構理事長西尾勝君及び毎日新聞論説委員人羅格君でございます。
この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用中のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
議事の進め方でございますけれども、まず西尾参考人、人羅参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
なお、御意見は着席のままで結構でございます。
それでは、西尾参考人からお願いしたいと存じます。西尾参考人。

〇参考人(西尾勝君) 西尾勝でございます。
国と地方の関係についての第一回の会合ということで、一体何を私がお話し申し上げるべきなのか迷いましたけれども、私は、過去の自分自身の経験から、地方分権改革のこの二十年というのをどう見るかということと、もう一つ、地方制度調査会で従事してまいりました地方自治制度の改革のことについてどういう所感を持っているかということに中心を置いてお話し申し上げたいと思います。
まず、地方分権改革につきましては、一九九五年から二〇〇一年まで通算六年間活動を続けました最初の地方分権推進委員会、これを委員長を務められたのが諸井さんでしたので以下諸井委員会と略称させていただきますが、ここで六年間仕事をしましたのと、その次につくられた地方分権改革を調査審議する諮問機関として地方分権改革推進委員会というものがございました。二〇〇六年から二〇〇九年まで三年間の任期でしたが、これは会長が丹羽宇一郎さんが務められましたので以下では丹羽委員会と略称させていただきますけれども、この委員会に私は二年間従事いたしました。と申しますのは、委員会の任期は三年だったのですけれども、出発早々は増田寛也さんが委員に就任され、委員長代理に指名されておられたのですけれども、一年たったところで総務大臣に登用されまして委員会を抜けられました。その結果、一人欠員になった委員の補充ということが行われまして、途中から私が補充者として加えられて、後半の二年間はそこで私も従事いたしました。したがって、通算八年間、地方分権改革の諮問機関に関係したことになります。
ちょうどその頃でいいますと、地方制度調査会の方は第二十四次地方制度調査会から始まっていますけれども、つい最近までありました第三十次地方制度調査会まで、私は二十四次から三十次まで全て調査会に関わっておりました。そういう経験に基づいて、大きくは四点ほどのことについて意見を申し述べたいと思います。
まず最初は、地方分権改革二十年の評価についてでございます。
ただいま申し上げました最初の委員会、諸井委員会の勧告に基づいて、機関委任事務制度を全面廃止するとともに、国の各省による地方自治体への関与を縮小し定型化した二〇〇〇年改革と総称されている、あるいは第一次分権改革と総称されている改革は、戦後のシャウプ勧告に基づく地方制度改革以来の大改革であったというふうに思っております。
また、その後の丹羽委員会の勧告に基づきまして、その後逐次法制化されてまいりました法令等による義務付け・枠付けの見直しという措置、それから都道府県から基礎自治体への事務権限の移譲という措置、そして更に加えれば、国と地方の協議の場の法制化といった措置などは、いずれも諸井委員会以来の流れを継承した大きな成果であったというふうに評価しております。
ただ、これらの改革はいずれも行政面に中心を置いた改革にとどまっておりまして、国と地方の間の税財源の配分、この構造を改める、言わば財政面の改革には余り見るべき成果を上げることができなかったということであります。その結果、今なお多くの改革課題が手付かずのままに残っております。その意味で申しますと、地方分権改革は依然として未完の改革、未完成のままにとどまっている改革と言わざるを得ません。
しかしながら、更に手を付けるべき課題はいろいろとあることはあるのですけれども、現在の国、地方を通ずる財政状況の下でこの財政面の改革に着手することは極めて難しいと判断せざるを得ないように思います。
そこで、地方側は当分の間、国に地方分権改革を調査審議する大掛かりな諮問機関の設置を求めず、個々の自治体が地方分権改革のこれまでの成果を積極的に活用して住民サービスを充実し、地方分権改革の言わば効果を地域住民にまで還元するということに専心すべきである、専念すべきであるというふうに私は考えております。これが現在の時点での私の評価、所感でございます。
二番目の問題として、地方分権改革の推進手法について、少し私の思うところをお話ししたいと思います。
地方分権改革の推進を進める手法には、大きく分けて所掌事務拡張路線と自由度拡充路線というべき二つの路線があるように思います。いずれもこれは私が作り出した造語でございまして、私の本とか論文には書いてありますが、世間一般の人が広く使っている概念ではありませんので、これから少しずつ中身については御説明はいたします。
先ほども戦後のシャウプ勧告に言及いたしましたけれども、このシャウプ勧告は、国と地方の間の事務配分や、都道府県と市町村の間の事務配分を改めて、そしてこの事務の再配分に合わせて税財源の配分構造を改めようとしたものでございます。
そのとき以来、戦後の我が国では、国から自治体への事務権限の移譲とか、都道府県から市町村への事務権限の移譲、要するに、まあ言葉が適切かどうか分かりませんが、上位の団体から下位の団体へ、さらに中間の団体から末端の団体へというふうに、上から下へ事務権限を移譲することを指して地方分権の推進というふうに考える、そういう社会通念が確立されました。その後の地方制度調査会による度重なる答申も基本的にはこの考え方をそのまま踏襲しまして、事務権限の再配分を提唱し続けてきておりました。
このような推進手法、すなわち自治体の所掌する事務、所掌事務を拡張しようとする手法、国から地方公共団体へ仕事を下ろせば下ろすほど自治体が所掌する事務の範囲は広がるということになりますが、この自治体の所掌事務を拡張しようとする手法、中でも地域住民に最も身近な基礎自治体である市町村の所掌事務を拡張しようとする手法、この手法を指して、私は所掌事務拡張路線というふうに呼ぶことにしているわけであります。
ところで、諸井委員会が勧告しました、そしてまたその勧告事項の中でも最大のものであった機関委任事務制度の全面廃止であるとか、あるいは国の各省による自治体への関与の縮小と定型化といった一連の措置は、この所掌事務拡張路線に属するものではありませんでした。このときの機関委任事務制度の全面廃止に当たっては、従来、都道府県の知事等、知事とか都道府県の教育委員会といったような都道府県の知事等の執行機関に委任されておりました機関委任事務は、ごく僅かな例外を除きまして、原則として全てそのまま都道府県の自治事務か法定受託事務かに改めました。また、従前、市町村の市町村長等の執行機関に委任されておりました機関委任事務も同様に、原則として全て市町村の自治事務か法定受託事務に改めました。
要するに、この機関委任事務制度の全面廃止は事務配分の変更を伴っていないわけです。国の事務であったものを性格的に地方公共団体の事務に変えますと。性格付けを変えましたけれども、国が担当していた仕事を都道府県に下ろしたわけでもありませんし、都道府県が担当していた仕事を市町村に下ろしたわけでもないということですね。事務の移動は起こっていないということです。国、都道府県、市町村の間の事務配分は変更せずに、国の各省による関与の仕組みのみに変更を加えたのです。
すなわち、自治事務に区分けされました自治体の事務に関して発せられてきました数々の通達、通知と言われるもの、この通達、通知は、全てこれ以降はこれに忠実に従うべき訓令、言わば命令ですが、命令ではなく、技術的な助言、テクニカルアドバイスにすぎないものに改められたわけであります。
要するに、忠実に従わなくてもいい、助言として参考にすればよいという性質のものに改められたわけであります。自治体の裁量の余地、地域事情に即応した創意工夫の余地を広げようとする手法でございます。これを私は自由度拡充路線というふうに呼んでいるわけであります。そして、その後の丹羽委員会の勧告に基づく法令等による義務付け・枠付けの見直し措置も、この自由度拡充路線に属する改革手法であったと言えます。そういう意味で、諸井委員会の勧告は、地方分権改革の改革手法に新しい地平を切り開いたと言えるのではないかと思っております。
ところがであります。ところが、ごく最近の地方団体側の改革提言には、この種の機関委任事務制度の全面廃止のときに一つ一つの事務を全て洗い出して、これは自治事務にすべきか法定受託事務にすべきかということを一件一件精査したわけでありますが、次の法令等による義務付け・枠付けのときも、何々法の第何条何項のこの措置は果たしてこの義務付け・枠付けは必要なのかということを一点一点精査するというような作業をしてきて、自治体の自由度を少しでも広げようという積み重ねをしてきたわけですが、この種の関係法令の関係条項の改正を一つ一つ積み上げていくという類いの自由度拡充路線の改革手法に満足しませんで、これでは細かな改革の積み上げにすぎないという印象を持たれるのでありましょう、そういう改革手法に十分に満足せずに、旧来の、昔ながらの所掌事務拡張路線への復帰といいますか回帰、そこへ戻ることを求めるもっと大胆な改革構想が続出してきております。
つまり、例えばでありますが、大阪の維新の会が現に実現を目指しております大阪都構想、大阪府と大阪市を統合しようとする構想とか、あるいは指定都市市長会が一致して要望しております特別自治市構想、これはもう端的に言えば、大都市に限っては府県から独立させよう、別の言い方をすれば、大都市は府県としての仕事と市としての仕事を一緒にしようという構想ですけれども、こういう特別自治市構想というのを打ち上げておられます。
そして、丹羽委員会でも審議し、その後ずっと実現を見ていないテーマとして、国の各省の地方出先機関の原則廃止という改革とか、あるいは道州制構想などの改革構想は、いずれも大規模な事務権限の一括移譲を求めるものであります。国から都道府県へあるいは道州政府へ、あるいは都道府県から市町村へといったような、ともかく、事務配分の大掛かりな変更を求めようとしているものでありまして、これは私の言う所掌事務拡張路線に属すものです。シャウプ勧告以来、それこそが地方分権だというふうに何となく思われてきたその手法にもう一度戻ろうと、そして大きな改革を何とか実現したいというふうになってきていると、そう感じています。これが二番目の私の指摘したいことであります。
ところで、三番目に私が申し上げたいことは、この所掌事務拡張路線というものには、これをする場合には十分に留意しなければならないことがあるという、所掌事務拡張路線の留意事項、留意点と言うべきものについて少しお話をしたいと思います。
こうした大胆な改革構想は、いずれも言わば一発逆転を目指すような構想になっているわけでありますが、この種の所掌事務拡張路線の改革構想にはリスキーな面がある、危険な面があるということです。全く功罪ないというわけでは、罪ばっかりだと言っているわけでは決してありませんが、気を付けなければならない点があるということであります。
特に、国から自治体への事務権限の移譲を目指すいわゆる出先機関の原則廃止や道州制構想の改革構想では、国の側では、国の側の立場からいえば、できるだけ多くの国の機関を廃止したり縮小したりしまして、ここで働いている国家公務員を大幅に削減したいという、言わば行政改革の観点からの要望が、期待が出てくる、それを実現するためにできるだけ大幅な事務権限の移譲を実現したいという考え方が国の側には出てくる可能性がある。
現に、いわゆる出先機関の原則廃止は、小泉政権の最後の頃に経済財政諮問会議が決定しました歳出歳入一体改革、つまり、いずれは歳入の改革、増税もせざるを得ないだろうけれども、その前に徹底した歳出削減をしなければ国民の同意は得られないだろうということで、歳出の削減に重点を置いた歳出歳入一体改革という方針が決められたことがあります。
歳出を削減する、中でも、国の財政の縮減を図るということが大きな狙いになりましたので、その有力な手段の一つとして国家公務員の大幅な削減ということが浮上したわけです。これをしようと思うと、国家公務員の中で霞が関の本省庁で働いていらっしゃる方はごく一部でありまして、ほとんど大半は地方出先機関で勤務していらっしゃるわけです。この地方出先機関に着目をして、ここにたくさんの国家公務員がいると、これを減らしたいというのがその元々の由来だったわけです。ただ、その改革を実現する具体策を新設された地方分権改革推進委員会、丹羽委員会で審議するようにというふうに振り付けられていたわけであります。
そこで、国の側はそういう期待の下にこのテーマを出してこられた。そのとき、全国知事会はそれに大賛成をいたしまして、極力出先機関を全面原則廃止してほしい、そして、なるべくそこで所管してきた仕事は都道府県に移してほしいというのが知事会の取られた立場だったわけであります。つまり、地方の側では、できるだけ大幅な事務権限の移譲を実現することこそが地方分権改革の趣旨にかなうという考え方が出てくる、そういうおそれがあるわけです。現にそれは起こったことです。いわゆる出先機関の原則廃止問題をめぐって現に起こったことであります。
ところが、これがなかなか話が付かない。それは言うまでもなく関係の各省庁がこれに強く頑強に抵抗したからですけれども、各省庁が抵抗するのにもそれなりの理由がちゃんとあるわけですね。国の各省は、決して、自ら最後まで責任を持つべきだと思うこと、事務について、これに対するコントロール権を手放そうとはしないわけです。それは国の官僚としては無責任だとお考えになるからです。最後まで責任を負おうと思えば、コントロール手段を維持していなければならないというふうにお考えになるわけであります。
国の各省庁のお役人がそう思うような事務権限まであえて都道府県に移譲する、あるいは都道府県の広域連合に移譲する、あるいは新しく新設する道州政府に移譲するというようなことを要求して折衝しますと、本来渡すべきものではないのだけれども、そこまでいって渡せと言われるのなら、まず法定受託事務にすることは最低限の要件だと、絶対自治事務にはしないと、こうおっしゃる。法定受託事務にするというのならまだいいかもしれませんが、それでも自信が持てない、コントロールしていくということが十分にできるかどうか自信が持てない。したがって、各省大臣に直接指揮権を行使する余地を必ず留保しようと各省はするわけです。それが繰り返し起こった論争であります。
言わばそういう形で仮に下ろされたとします。法定受託事務なり、あるいは留保付きの、中央が権限を留保した形で下りてくるという形で、受け取った側は実はこれはひも付きの方式で事務権限をいただくわけでありますが、そういう形で受け取った事務が多くなればなるほど、受け取った側は自治体ではなく国の下請機関にだんだんになっていくわけです。その性格を強めていかざるを得ないという問題があるわけです。私は、そういう国の下請機関の性格を強めてしまうような改革はそれこそ地方分権改革の趣旨に合わないというふうに考えているわけです。こういうやり方は決して正しい進め方ではないというふうに思っているわけです。
したがいまして、国が最終責任を負わなければならないような事務権限は、純粋な国の事務であるとして、あくまでも国の側に留保しておかなければなりません。これは私の確信です。こういう性質の事務をあえて自治体に下ろそうとしてはならない、移譲してはならないというふうに思うのです。
この種の改革構想を具体化する際には、したがって、これは国の事務として留保しておくべきものなのか、あるいは地方自治体の事務として移譲して任せてもそれほど差し支えがない事務なのかということ、このことを一つ一つの事務権限ごとに丁寧に精査しなければなりません。この事務権限の仕分の作業は大変な作業であります。これは決して民間有識者だけで、研究者だけでなくて様々な専門家が加わったとしても、民間有識者だけで構成された諮問機関の手に負えるものではありません。必ずそれ以外に、国の官僚と地方自治体の職員の、実務に詳しい職員たちの助力が絶対不可欠であります。
この種の論議でしばしば原則廃止というふうに、原則と言った方が勢いがいいですから元気よく原則廃止とおっしゃいますし、地方団体側が使った言葉で言うと、丸ごと移管ということをおっしゃったわけですが、こういう原則とか丸ごとと言った途端に丁寧に仕分をしていくという作業が放置されるんですね。そこで危ない議論になるというのが私が一番痛感していることであります。
私は、もう時間がないそうですからやめますが、出先機関の縮小、廃止に反対だったわけでは決してありません。見直していけばまだまだ下ろせるものがあると思っていたのですが、全てを渡せというような議論が危険だということを強調しておきたい、これは道州制論議でも必ず再現することですから、そのことを強調しておきたいというふうに思います。
あと一点ほどありましたが、後ほどの質疑でお答えしますので、私の冒頭陳述を終えます。
ありがとうございます。

〇会長(山崎力君) どうもありがとうございました。
次に、人羅参考人にお願いいたします。人羅参考人。

〇参考人(人羅格君) 人羅と申します。
今日は、メディアで地方自治とか分権改革の取材を担当しているということを踏まえましてお話を申し上げます。よろしくお願いします。
私たちメディアは、地方自治、分権改革について、東京から、地方から、できるだけ多角的にいろんな角度から取り上げたいというふうに日々努めているつもりでございます。とはいいましても、実際のことを申しますと、分権改革の話というのは非常に多岐にわたって、しかもテーマごとに複雑な話も多いので、とりわけ映像メディアを中心になかなか取り上げにくいというような傾向もあるようであります。
これが、ちょっと残念なことに、最近は活字メディアの方も分権改革について取上げが同様の傾向にあるようでありまして、せっかくの機会なので、毎日新聞のデータベースで、地方分権、さらに民主党政権時代に多く用いられました地域主権、この二つの言葉が入った記事が中央、地方版も含めてどのぐらいなのかなというふうに調べてみたところ、おおむね大体千から七百ぐらいの推移であったのですが、東日本大震災の年からちょっと減りまして、六百ぐらいに減りまして、この記事数が最近またどんどん減ってきていまして、昨年一年間では二百五十ぐらいでございました。こういうふうに、これはうちだけじゃなく、恐らく各メディアに共通する傾向なのではないかというふうに思われます。
それで、じゃ、なぜこの分権改革の報道が昨今ちょっと収まっているというような傾向にあるかというのは、これはメディアの課題ということももちろんあるかもしれませんが、そこのところの理由には、国民に言わば切迫的な関心ですね、これがやはり分権ということについてもう一つ薄いのではないかという点があるのではないかというふうに私自身は感じています。恐らく、どうして分権改革は必要なんだろうかと、そして、それが自分たちにとってどう影響するのかというところがいま一つイメージがつかみにくくて、ともすればこれは国と地方の権限争いなんじゃないのというような、そういった印象があるように見えてしまう。そこで、総論では分権いいねというんだけど、じゃ、実際に切迫的な関心があるかというと、どうもいま一つそこにはまだ至っていないのかなという印象が、私は感じています。
あともう一つは、それに加えて、昨今、やっぱり国と地方の権限、分権ですね、あと事務とか、そういった議論が一種踊り場にあるんじゃないかという感じがあります。第二期分権改革と言われるものが御承知のとおりここ数年来行われまして、これは義務付け・枠付けの見直しですとか、国の地方行政への関与ですね、関与の縮小という点について進められまして、これはかなりの成果を収めたというふうに私自身は見ております。
そうすると、そこがある程度見えてくると、じゃ、これから先、国と地方の権限関係をどう整理して分権論議とか自治の方に議論を進めていくんだと、そこについて政治的なイメージが集約されていない。このため、それがとりわけ民主党政権で、国と地方の、先ほどもお話ありましたが、出先改革、これが膠着して行き止まって以来、どうもこの分権というのはこれからどう進めていくんだということについて、一種の足踏み感があるんじゃないかと考えております。
それでは、じゃ、今どういう方向があるのかというと、単純化させていって言わせていただきますと、二つ議論の方向がございまして、一つは、先ほど所掌事務の拡大という話が西尾先生からございましたけれども、一つは、もう一回国から地方に大胆に事務とか権限を移して、それでブレークスルーしようという、国の守備範囲というものは極力狭めていこうと、そういった方向の議論が一つあると思います。これの代表が道州制ということではないでしょうか。
もう一つは、いや、地方の方はかなりもう事務を移譲されていて、正直おなかいっぱいだと。もうそこよりも、事務を移すよりも、それぞれの例えば市町村とか基礎自治体できちんと町づくりとか都市計画とかそういったものができるように、そういう分権を進めるべきだと。ラージとスモールという言い方がいいか分かりませんけれども、二つ方向の対立感があるというふうに私自身感じております。
そういった中で、昨年来、地方創生という課題が政府を中心に出てきて議論されているということだと思います。この地方創生というのは、厳密に言うと分権改革とは違うベクトルの議論でありますが、人口減少問題への対応ということなんですけれども、これはどうして今こういう議論が起きているかということは、私なりの印象で申し上げますと、町村とかにはこの議論をしていくことがいずれまた町村合併につながっていくのではないのかなという受け止めをしているところも多いようなんですが、実際のところは、道州制という言わば遠大な話をするよりも、目先の切実な課題をきちんと、まずは都道府県を中心に考えて、さらに今の市町村、それが周りと連携しながら課題を解決していこうという、そういった方向の力学が働いて今の地方創生という議論が起きているんじゃないかというふうに私自身は捉えております。
そこで、じゃ、道州制論議をこれから、とか地方制度の改革論議、これをどう議論していくかという問題がやはり政治的には大きいのだというふうに思います。
例えば、毎日新聞は道州制について、分権改革というものを徹底するのであれば、それは一つの選択肢であろうというような取上げ方を社説では従来しております。とはいうものの、この四十七の都道府県を、これで駄目だということであるのであれば、じゃ、それで、ブロックで再編して一体何がどう良くなるのかという具体的なやはり説明ができていなければいけないというふうに感じております。
とりわけ、私、今の基本法の制定論議というものを、これは印象ではありますが、感じることは、やはり何のための道州制で、じゃ、事務をどういうふうに権限を移して、それで、じゃ、基礎自治体、市町村を将来どういう姿にするのという、そこがまず固まって、それで、じゃ、道州制やろうよという議論なら分かるんですけれども、基本法をまず制定しようと、手続だけ走ろうというようなふうにややもすると見えてしまう。
これは私、非常に危ないと思います。やっぱり、もしやるのであれば、まず何のためのどういう道州制をするかということをきちんと議論して、そこを固めて走らないと、やはり四十七都道府県を再編するというのは非常に大きな話ですので、最終的には私、個人的には、これは憲法改正の国民投票に値するぐらいのテーマではないかというふうに思っておりますので、そこのところのまず基本、何のためにと。さっき、西尾先生のお話に至っては、それは行革のためなんですか、分権のためなんですかと。行革のためだというのなら、じゃ、都道府県の合併をして、どれだけ人数が削られるんですかと。じゃ、国の地方出先機関をどれだけ移すおつもりですかというところまできちんとベースで議論しておかないと、何やら手続論の話ばかりが走ってしまうのではないかという、そういったちょっと印象を持っております。
そうなりますと、その大きな地方制度改革の議論ということは、それはそれとして、やはり最低限やっていくべき話は、基礎自治体ですね、基礎自治体で町づくり、都市計画、こういったことについて自由度を高めていくということは、これからの人口減少社会で都市の計画を、都市の再編というんですか、そういったことを、町づくりをまたやり直さなきゃならなくなりますので、そういった方向のアプローチをして、そこに住民参加ということを、方策を講じていくというアプローチは、やはりここは最低限必要ではないかというふうな印象を持っております。
それが、どうして有権者は、じゃ、分権改革にいま一つ積極的に関心がないのかということに対するやはり答えにもなり得ると。そこをきちんと考えていくことがやはり、ああ、なるほど、生活に分権というのは関係があるんだなというふうに納得も得心も得ていただくという、そういった道になるのではないですかというふうに考えています。
あと、もう一つ、分権改革について何年か取材をして感じることは、やはり税財政ですね。これについての議論、難しい多々問題があるわけですけれども、とはいうものの、やはりちょっと政治的に乏しいのではないかという印象を持っております。
御承知のとおり、小泉内閣のときに三位一体の改革というのがございまして、三兆円税源は取ったけれども、五兆円交付税を減らされちゃったということが大まかに言うとございまして、それで地方側は非常に不信感を強めてしまったわけです。それで、あつものに懲りてなます云々といいますか、もう地方税財政の話をすると、どうせ財務省にいいようにやられて損するんじゃないかというような妙なシュリンク感が出てしまっているのではないかと。とはいうものの、やはり分権改革というのをきちんと考えていくというのであれば、この地方の税財政ということをどう拡充していくかという議論を、やはり私は政治的にもう一つ積極的に考えていただきたいという印象がございます。
とはいうものの、なぜ、先ほど地方のシュリンクという話もございましたけれども、どうしてその地方の税源移譲という話が難しいかということについて、一つの理由は、地方に税を移せば移すほど、それは地方同士の、大都市と地方、ほかの地域の税収格差が拡大してしまって、それで結局のところ、それは地方のバランスを逸してしまうと。これは地方消費税にしても住民税にしろ恐らく同様だと思いますけれども、そこの壁があるんですね。そこの壁に当たってしまうので、なかなか地方に税源を移すという議論が進まない。
そうすると、これはとても難しい話かもしれませんが、やはり地方の間で、共同税という言い方がいいのかどうかは分かりませんけれども、何かの形で税を融通し合うような仕組みは何か考えられないか。それは交付税という形しかないのであろうかということについて、ある程度やはり政治的に議論していただかないと、なかなかこの地方税財政というものについての議論について進めていくということは難しいのではないかというふうに感じております。
最後に、先ほど道州制の話と、あと地方税財政の話をしましたが、もう一つ政治の場面において積極的に議論していただきたいのは、やはり地方議会ですね、地方議会の在り方ということについて議論を活発にしていただきたいという思いがございます。
御承知のとおり、現在、日本の地方自治は、首長と議会がそれぞれ住民から選ばれる二元代表制という仕組みを取っておりますので、そこの歯車がうまく回らないと地方自治の歯車はうまく回らないという仕組みになっております。しかるに、では、地方議会の方の歯車がきちんと機能して回っているのかということについて言うと、多くの地方議会において、最近、政策機能でありますとか、監視機能でありますとか、そういったことの拡充に努めているということは私も重々承知はしておるつもりなのでありますが、やはりまだ足りないと、十分ではないということがあります。ここは、これから分権ということを考えていく上でも大きなテーマになるのではないかというふうに考えています。
昨今、しかも去年から、例のやじの話ですとか、あと政務活動費の話でありますとか、地方議会については、どちらかというと残念な話題ばかりが、私たちも報じているというようなことがあるわけなんですけれども、あと、最近は、なり手の不足という問題も町村議会においては深刻なようでございます。ただ、そういう問題は問題としてありますが、やっぱり基本的に一番地方議会について問題なのは、地方議会というのが住民の方々から非常に遠い存在に思えて、それで、加えて言うと、何をしているのかがよく分からないという状況がやはり地方議会を考える上では一番根っこの問題なのではないかというふうに私は考えています。
こういった状況を、じゃ地方議会をどうするかということについて、例えば通年議会にして夜間の開催を拡充するとか、議員提案で政策条例を制定いたしますとか、あと、情報公開に努めるとか、そういった運用面で地方議会の改革でできることがかなりあるということは、これは確かに実際そういった動きも起きております。
ただ、その一方で、制度的に考えると、例えば何か四十人ぐらい候補の、定数があって、大選挙区で、一つの選挙区で四十何人出馬した中から一人選べというような選挙の仕方ですね、これが本当に住民にとって選択にいいシステムなのであろうかということであるとか、あと、例えば都道府県議会と政令市議会について女性議員が少ないということであれば、政党色ですね、政党本位の選挙制度ということを考える余地はないのかとか、さらには、大都市と町村の、小規模自治体の地方議会ですね、そこの人員のリクルートの仕方、機能の仕方というのは本当に同じでいいのかとか、そういったことをもう少し政治の方からも議論していかないと、地方議会の現状というものを分権時代にふさわしい地方政府にするということから考えていくには、政治の議論ということが必要じゃないかという印象がございます。
あと、その関係でいいますと、例えば住民投票、これについても、住民投票というのは、では、どういうふうに地方政治の中で位置付けていくべきなのであろうかと。一時、片山善博さんが総務大臣のときに、箱物については法的拘束力を認めたらどうかというような議論もありました。これは地方側の反発が、逆に知事会の方が難色を示してうまくいかなかったという経緯がございますけれども、例えば、そのテーマとか拘束力についてどういうふうに考えていったらいいのかとか、そういった住民参加ということの在り方ということについても、与野党、政党において、もう少し正面から考えて議論していくといいのではないかという印象を持っております。
少し時間が残りましたが、以上であります。

議事録を読む(参考人質疑)
〇会長(山崎力君) それでは続きまして、倉林明子君。

〇倉林明子君 日本共産党の倉林明子です。
今日は二人の参考人に貴重な御意見いただきまして、ありがとうございます。
最初に、私、一九九四年から京都で地方議会の議員をしておりまして、それで京都選挙区からということで参議院に送っていただいたという立場なんですけれども、ちょうど三位一体改革の嵐吹き荒れる中で地方議会を体感したという経験がございます。
あのときの市町村の思いというのは、本当に裏切られたといいますか、そっくり持っていかれたという印象、思いを語っていたことを改めて思い出しているんですけれども、地方自治の充実という観点から考えまして、あの平成の市町村合併、そして三位一体改革、どういう影響を与えたんだろうかと。率直な御意見をお聞かせ願えたら有り難いと思います、お二人に。済みません。

〇参考人(西尾勝君) 三位一体の改革は、僕も、小泉首相のリーダーシップで始まり出したことですから、言わば政治主導で進められ出して、したがって、もう大変な改革ですから、総理自身がそれだけのリーダーシップを振るわない限り成功しようのないことを総理自身が言い出して動き出したことなので、期待しておりました、本当に。私たちが考えたような三位一体の改革を第一弾でもまずやり遂げていただいたらば、更に第二弾目に行ってというふうに徐々に広げていくということを成功してくれたらいいなと思っておりましたけれども、結果を見て唖然とするような、こんなはずではなかったといいますか、惨めなる結果に陥ったわけで、大失敗としか言いようがありませんけれども、政治主導で進められる事柄の恐ろしさというものを実感しました。どこに行ってしまうか分からないという、動き出したのはいいんですけれども、どこへ走っていかれるのかが見えないといいますか、終点がよく分からないところへ行ってしまうという怖さ、それを痛感をした次第です。
あれはしかし失敗だといっても、税源移譲は三兆円なら三兆円はしたというのは大変なことなのですよ。ですから、これからだんだんにもう一遍あの経験を踏まえながら積み重ねていく以外ないのですが、地方もあの怖さを感じていますから、二度と容易には言い出さないという状況に陥ってしまっているということになります。
それから、平成の合併の評価については本当に私は複雑です。いや、やりなさいというゴーサインを出してしまった当事者の一人ですから、その当時、進んでいくときに、あれには反対だったなんて言いようがありません。自らがそのゴーサイン出した責任者の一人なんですから。
ですから、地方制度調査会になったときも、これにどういう結末を付けるかという議論をしたとき、たまたま分権委員会で委員長だった諸井さんが地方制度調査会の会長になられ、その副会長をまた私が地方制度調査会でやらされるという羽目になって、ゴーサインを出したあなたたちがこれからどう結末付けるか考えなさいと責任を負わされたようなものなんですね。
ですから、非常に苦渋をしながら対処してきた問題ですけれども、いずれはやらざるを得なかったことなんだろう、だけど進め方として正しかったかというと、なかなか思うようにいかなかった。私は、もう少し昭和の合併の経験を踏まえて、編入合併される側の町村の小さな自治を大事にしていくという方策をもっとみんなが力を入れてやらなければいけなかったのではないだろうかというふうに思っていまして、結局、余りメリットのない結果に終わったんじゃないかと、こう思います。最終的には、ある意味そこまで進んでしまったのは、やはり財政的な締め付けが一番利いてしまったのではないかと、こう思います。

〇参考人(人羅格君) 三位一体改革については先ほども少し話しましたけれども、この改革は、私、発想とアプローチ自体は良かったと思うんですよ。補助金と交付税というひも付き部分を縮減して、それで地方の自主税源を増やそうというアプローチは良かったと思うんですけれども、やはり結果は、交付税の五兆円というのがやはり先走ってしまって、結果は、先ほども申し上げましたけれども、地方は国の改革に付き合うと損をすると、もうたくさんだという非常にトラウマが今まだ残っているという意味で、かなり悪い意味での影響を残してしまっているということは間違いないと思います。
ただ、そこでもうシュリンクしちゃっているとしようがないので、やはり地方六団体を中心にもう一回きちんと、じゃ税財源をどうするんだというところをやっぱり進んで議論してほしいなというふうに私自身は思っています。これは先ほども申し上げました。
あと、市町村合併については、やはりこれでじゃ本当にその行政の効率化というのが進んだのかということについての、あと、分権の受皿としての基盤の強化ということについての検証がまだできていないと。どちらかというと、それは余りメリットが出ていないのではないかという議論の方が目立つということは事実だと思います。
この一つの、私、要因は、合併した自治体同士で元の自治体を残したり、逆に地域割りで自治組織みたいなのをつくるという議論がもうちょっと進むんじゃないかなというふうに思っていたんですけれども、なかなか合併してみるとそこがうまくいっていないというか、活発になっていないという印象なんですね。そうすると、役所が遠くなったとかそういった、どちらかというと、住民からすると何のための合併だったんだというところの印象が残ってしまっているということで、いずれにしても、やはり平成の大合併の検証というものは必要であり、先ほど第二弾というものについてちょっと慎重な意見を申し上げたのも、そういった事情によるものです。

〇倉林明子君 ありがとうございます。
西尾参考人に次の質問をしたいと思うんですけれども、先ほど道州制について、現在のようでは反対せざるを得ないということで、著書を読ませていただいた段階では、一昨年の四月発行の「自治・分権再考」の中では、慎重論者だというふうにされていたかと思うんですけれども、そこからすると踏み込んだ発言だなというふうにお聞きしたんですけれども、かなり駆け足でその理由について御説明ありましたので、少し丁寧に、繰り返しになりますけれども、御説明いただければ有り難いと。

〇参考人(西尾勝君) 何度か講演でもお話をし、文章でも書いたのですけれども、私は道州制構想の積極的な推進論者ではありません。しかし、道州制と名の付く構想には全て反対ですという原理的な反対論者でもありません、あえて言えば慎重論者ですと、こういうふうに言い続けてきました。そのことは変わっていません。
ただ現在、特に経団連やら同友会やら商工会議所やらから出てくるような、財界から出てきているような道州制構想にそれほど危険な要素を感じていないのです、私は。しかし、むしろ国会の議員さんたちが与野党の中で議論していらっしゃる道州制論議に危惧を抱くんです。強い危惧を抱いているんです。私の聞く限りでありますが、今まで聞いてきた限りで言うと、国会議員の方の方が思い切ってできるだけたくさんのものを下ろしてしまおうと思っていらっしゃる。どうしてもそう思えるんです。その発想が非常に危ないなというふうに思っているということが一点です。
それを下ろせば下ろすほど、私は集権的な道州制になると思っているんです。そこに一種の節制をして、これはやっぱり下ろしてはいけないと、国に残さなきゃというものと、自治体に下ろすものは思い切って下ろそうという、その抑制が利いていかないと分権的な道州制にはならないと思っているんですね。ですから、主としては今は政治家の方々が論じていらっしゃることに危惧を感じているので、現時点では反対と言わざるを得ませんと。これがもう少し落ち着いた議論に、なるほどそこまでよくお考えになりましたかという議論になってきたときは賛成論者になるかもしれませんと、こう申し上げているということです。これが一点目です。
二点目は、どういうわけか私には理解できませんが、今、四十七都道府県がある、それを十前後の道なり州なりに組み替えるとしますと、そのときに、その傘下に、管轄下に千七百もの市町村が依然として残っているのは数が多過ぎるとおっしゃるんですね。これを千以下に統合しろとか、六百程度にまとめろとか、いろいろなことをおっしゃっていらっしゃる。これも国会議員の世界に多い議論じゃないでしょうか。どうも民間の人は余りそんなことを言ってはいないんじゃないかと思うんです。でも、どうしてだか、そこを減らさなければ効果が出ないということをおっしゃる。本当でしょうかと。十の道州になって千七百市町村が残っていたら、本当にどうしようもないんでしょうか。それなら道州制、諦められるべきだと思います。おやめになるべきだと思います。
でも、まとめるとおっしゃっているんですね。これがこれから可能ですかと。この間の平成の合併で三千二百有余から千七百有余まで縮めたのでやっと二分の一程度にしたんですけれども、これが大変なフリクションを起こしています、全国に。これやらなきゃよかったと思っていらっしゃる方がたくさんいらっしゃるという始末なんですね。そこに更にこの千七百を千以下にする、あるいは六百にする、半分にしろとか三分の一にしろというのは、私はもう非現実的な発想だと思うんですよ。それはどなたも賛成しませんよ、町村関係者は。ですから、町村会が一致して反対していらっしゃる。当たり前です。私は当然だと思います。どうしてそう減らさなきゃいけないんでしょうか。これは逆に伺いたい。本当にそんな必要がどこにあるんでしょうか。そこにこだわっていらっしゃることが私が反対する第二点目です。
第三点目は、四十七都道府県を全部廃止するとおっしゃっていますが、そうすると、区割り問題というのは大問題なんですけど、どういうふうに全国を割るかというのは。特に、関東地方をどう割るかとか関西地方をどう割るか、具体的にお考えいただきたいと思うんですね。関東地方と今通常言われているものを全部まとめて一つの道にするとおっしゃったならば、全国の三分の一の人口を押さえ、物すごい経済力を集中したところを一つの道にするということです。これは巨大な道になるんじゃないでしょうか。
片や沖縄は、単独で道なり州なりになりたいとおっしゃるでしょう、多分。そうすると、今、東京都と沖縄との経済力、その他様々な格差は物すごく大きなものです。全国の人口の一割を東京都は持っていますから、大変な格差です。でも、関東道と沖縄道の格差はもっと巨大な格差になります。果たして、それでバランス取れるんでしょうか。私、そういう道をつくってしまっていいととても思えない。特に、東京一極集中が今の深刻な問題だと言っているときに、関東道などというものをつくってしまって本当にいいんでしょうかと思うんですね。
それは関西についても同様です。関西も、どうもあれ一体にせざるを得ないんじゃないかと思うんですけれども。というのは、大阪都市圏と神戸都市圏と京都都市圏が複雑に重なり合った地方になっていますので、その三大都市圏に関わっている県は全部入れようということになると、滋賀県から和歌山県から兵庫県まで全部入ってしまうんですね。結局、関西地方を一つにせざるを得ないんじゃないかという気がするわけです。そうすると、これまた関東地方に次ぐ巨大な道州が関西道として生まれます。私は、それは物すごいアンバランスな国の形になるんではないかと思うんですね。
そうすると、この関東道とか関西道をそれほど強力なものにしないという工夫をしなけりゃいけないんじゃないかと思うんです。そうすると、やっぱり分割論が必要になるんじゃないかと。お考えください。北関東、南関東と分けるんですかと、関東は。南関東になったとすれば、東京都、神奈川、埼玉、千葉、一都三県でしょう。これを一都三県が一つになれば東京大都市圏を全部カバーした新しい道が生まれるというので、それなりの大きな意味はあります。でも、これで全国人口の四分の一は占めてしまいます。これ依然として巨大です。そのときに、東京都とか埼玉県、神奈川県、千葉県を絶対廃止するという必要があるんでしょうか。私は残した方がいいんではないかというふうに思うんですね。ほかの、九州道は九州道と市町村でいくかもしれない。しかし、東京については、市区町村があって、東京都と県があって、その上に道ができていますと。上に乗った関東道とか東京道というところはその東京道全体の広域行政だけをやりますと、多くのことは依然として東京都と埼玉県、千葉県、神奈川県が分担してやっていらっしゃいますという自治の三層構造になったとしても、私はその方が現実的なんじゃないかと思うんですよ。
どうしてそういうことはお考えにならないんでしょうかと、考えるときに全部一律にお考えになるというのが非常に危ないという感じもします。

〇会長(山崎力君) よろしゅうございますか。

〇倉林明子君 もう結構です、時間が来ましたので。

日時
2024/04/20(土)
場所
内容

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