参考人山下栄一氏、高安健将氏への質疑(国の統治機構に関する調査会 参考人質疑)
2014/04/09
本日の会議に付した案件
国の統治機構等に関する調査(「時代の変化に対応した国の統治機構の在り方」のうち、議院内閣制における内閣の在り方(議院内閣制下での参議院の果たすべき役割))
〇会長(武見敬三君) 国の統治機構等に関する調査を議題といたします。
「時代の変化に対応した国の統治機構の在り方」のうち、「議院内閣制における内閣の在り方」について調査を行うに当たって、本日は「議院内閣制下での参議院の果たすべき役割」について参考人から意見を聴取いたします。
御出席いただいております参考人は、元参議院行政監視委員長山下栄一君及び成蹊大学法学部教授高安健将君でございます。
この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただいて、調査の参考にしていきたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
議事の進め方でございますが、まず山下参考人、高安参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、山下参考人からお願いをいたします。山下参考人、どうぞ。
〇参考人(山下栄一君) 皆さん、こんにちは。山下でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
国権の最高機関でございます参議院の国の統治機構に関する調査会に参考人としてお招きいただきまして、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
私は、二〇〇八年、平成二十年九月より約一年間、百七十国会から百七十二国会に当たっておりましたけれども、参議院行政監視委員会の委員長として尊い使命をいただきました。今も本当にこのことを感謝しております。初めに、その貴重な体験を述べさせていただきたいと思います。
本日のテーマは、先ほど会長からもございましたように、議院内閣制下での参議院の果たすべき役割と、これに少しでもお役に立てればと思っております。
行政監視委員会の運営、この現実は、もう張り切って委員長に就任させていただいたんですけれども、なかなかうまくいかなくて、非常に厳しいものでございました。委員会開催に向けまして懸命に私努力いたしましたけれども、理事懇の開催ができないと、こういう状況がございました。質疑はおろか視察も駄目と、こういう状態が続いておったわけでございます。そんな状況下で、その背景はねじれ国会における与野党対立の特殊事情、これがあったわけでございますけど、機能不全に陥ってしまっておりました。その突破口をどうするかということでいろいろ考えまして、それが視察であったわけでございます。
視察のペーパー、「視察の意義」というペーパーを作りまして、理事会でそれを確認いたしまして、理事会の了承の上で委員全員に配付させていただきました。(資料映写)それがお手元にもございますけれども、ちょっと前、見えづらいですけど、お手元にあるのと一緒ですけど、この「行政監視委員会「視察の意義」」と、こういうペーパーを作りまして、理事会で了承いただいて全員に配付したと、こういうことであったわけでございます。
もうやりきれない状況の中で知恵を出したのが委員長視察、委員長が視察すると。委員会の視察がなかなかうまくいかないので、委員長が視察するということでございました。非常手段であったわけでございます。
ただ、委員長視察というのは、委員会運営の下準備として非常に大義があると。前例もないことはないんですけど、でも少ないし、また苦肉の策、非常手段であったけれども、常時継続的監視としての行政監視委員会の使命を果たすことにつながると、このように自分で確信して、精力的に委員長視察に力を注ぎました。この手応えが驚くべきものでありまして、やってよかったなと私は思いましたんですけど。
お手元の配付資料の視察先一覧、これを見ていただきたいと思いますけど、ここにもいろいろありますねんけど、今日、ちょっと代表的というか、私が非常に、三十数か所行って特に激しく印象に残ったところを一つだけ。それは、この資料一覧の、これ二ページにわたっておりますけど、一番下の十二番、東京空港事務所管制保安部と、これは、だから、委員長二年目の四月に行っているんですけどね。
これ、何で衝撃を受けたかといいますと、羽田空港ですけど、国土交通省の現場組織ですけど、このラッシュ時、午前七時とか夕方の六時とか七時とか、この空の交通整理というのはもう大変だと。これ、管制官の、管制官というのは試験を受けて専門行政職になっているわけですけど、その交通整理が大変で、多言語、アラビア語とか英語とかフランス語だけでなく多言語に対応すると。で、ニアミスの恐怖。ラッシュですからニアミスの恐怖がもう常に付きまとうと。そんな状況を聞かさせていただきました。
特にお話聞きながら現場の管制官とも懇談させていただいて感じたのは、具体的な事件が起きたというか、平成十三年日航九〇七便ニアミス事故、これは裁判になりまして、平成十三年のニアミスの事故で、衝撃でその乗客がけがをするということがあって業務上過失致死罪に問われたと、管制官が問われたわけです。機長もいろいろ、受ける側の機長さんも捜査対象になったので、それはまあ結果的には特に問題ないという状況になって、二人の管制官が刑事裁判の対象になったと。これが、地裁は無罪、高裁が執行猶予付きの有罪と。最高裁で有罪が確定するわけです。これ平成二十年、七年間以上掛けた。そういうことでございました。
そのお話聞きながら、管制官個人の問題かといういろんな議論があって、国際空港組織としてはこういうのが犯罪になると大変だという見解も示したそうなんですけど、結果的には、この二人の具体的な人が執行猶予付きであったが、有罪判決受けたと。これ、空港全体のシステムに関わる問題じゃないのかと。個人の問題ですかと、これは。こういうことが問われたんですけど。
そのときに、私、話聞いて非常に心に残ったのは、裁判官も、結果的に影響与えたかどうか分かりませんけど、地裁の裁判官は現場に行って確認しているわけですね。高裁、最高裁は現場に行っていないと。そんなことも影響与えたか分かりません。だけど、現場に行くということがいかに大事かということ。
そして、組織上の、組織犯罪にはなりませんので、国家公務員上の問題とか、そういう問題になってくると上司が責任問われたりするんですけど、これは刑事事件で、個人二人、管制官二人のそういう罪が問われたと。こういうことが続くと、これは現場で管制官になり手がなくなるし、案の定、競争試験も希望者が減っていったという状況が当時はあったようですけど、この羽田の話は管制官の話。
私は、この話聞きながら、もう専門行政職としての管制官の俸給表も、専門職は専門職としての大変な御苦労もあるし、もちろん特勤手当も付いていたと思いますけど、その在り方も、俸給表もきちっと見直すべきじゃないかなというようなことも考えましたし、女性管制官も育児休業を取るのがもう大変なんですと。男女もちろん平等の世界、もうこれは非常に大事なことなんですけど、現実はそういう話なんかもございました。現場に行くこと大事だなということを感じたわけです。
あと、これ、上から六番目に国立感染症研究所というのがございます。これも物すごく大事な国立の、独立行政法人じゃない、一部独法に移行したのもありますけど、今も国立、直属の研究組織ですけどね。これが新宿区の町の真ん中にあるということは、周辺住民の理解がなかなか得られないと。P4と呼ばれる一番激しいウイルスに対応する施設もあるんですけど、これ、いまだに機能しないと、造ったんですけど。それは、住民の説得が物すごく大変だということです。感染症研究所の方々、もうこれは自分自身が感染するかどうかということも含めまして、これも専門性を持った専門職の方々の御苦労、これはもう行って初めて、私が初めて、私自身のことですけど、非常に感じました。
あと、この中に、宮内庁も行きまして、宮内庁も実際行ってみたら、こんな開かれた組織だったのかというようなことを、いろんな情報公開、市民の皆さんに、都民の皆さんに開くための御苦労もされておりましたが、それも行って分かったことでございます。
あと、防衛研究所も行きまして、貴重な戦前、戦中の資料もございました。
そんなことも通しまして、現場の重要性、視察から学びましたことを何点か申し上げます。
一つは、私は、視察ということが大事だということ。それで、行政監視委員会活動というのは、もちろん委員会開催して質疑するということも大事なんだけれども、質疑と並んで、私は質疑以上に大事なんじゃないかなと思ったのがこの視察でございました。行政監視活動というのは視察じゃないのかと、別の見方をすればというふうなことを物すごく感じました。
それからもう一つ、二番目は、国権の最高機関としての視察というのは現場の士気を高めると、現場で働いておる方々の士気を高めるんだなということを感じました。来られると嫌だなとか煙たいなとかいう、そんな人もいらっしゃったかも分かりませんけど、これを通して、よくぞ来てくれたと、これ知ってほしかったんだと、こういう張り合いみたいなものを、国権の最高機関もちゃんと見ているよということが現場の士気にもプラスの影響を与えるなということも感じました。
委員会の視察というのは、国政調査活動、憲法六十二条の国政調査活動そのものだと。議員個人も、今日お見えの皆さん方も現場に通われていると思うんですが、議員個人の視察と全然重みが違うなと。これ、行った先の受け止め方がこれほど違うかというぐらい。私は行政監視委員長という立場で行かせていただいた。行政監視委員長というのは常任委員会の委員長ですから、参議院の役員の中に入っておるわけですね。議長と並んで、常任委員会の委員長というのは重みがある。まして名前が行政監視と付いておると、その委員長が来るというようなことで、受け止める側は非常に重く受け止めてくれたと。行く先々でもう現場のトップの方が対応していただいたというのがそれに表れているかなと思ったんですけど、議員個人の視察のときと全然違うなと、これが国政調査活動かと。委員長個人だったんですけれども、委員会で行くとかそんなことがどれだけ重みがあるのかという、現場に与える、これは驚くべき体験でございました。ハウスの活動だということの自覚が大事だなと、党派を超えてと。山下個人ではなくて委員長視察ということで非常に現場も受け止めていただいたなということを実感いたしました。
この視察に当たって、私が、次のテーマというか、私、強調することにつながりますけれども、国会スタッフというのが大事だなと、国会職員です。この役割、この方々が私を必死でサポートしてくれましてね、委員会ができないこともありましたけど、調査室の方々、そして委員部の方々が一生懸命支えて、この方々抜きに視察はできなかったと思います。事前の準備、打合せ、これきちっとやればやるほど受け止め方は一言一言が突き刺さるようでございましたし、終わってからの総括も大事だなということをそのときに感じました。ひたすらこれは国会のスタッフ、国会職員、この力量と質に懸かっていると。この方々の研修がいかに大事かということも、お忙しい状況だそうですけど、やっぱり研修をしっかり、心構えとかそういうことも大事だなということを思いました。
私は、これ視察終わりまして、このペーパーの一部お配りしておりますけれども、こういう冊子に、百五十ページぐらいの冊子に、もうたまらない気持ちになって、これをやっぱり何かまとめないかぬなということでまとめたわけです。これを私、当時の参議院の議長でございました、今日お見えですけど、江田議長のところに、せっかく作ったから議長見てちょうだいと持っていったんですね。そうしたらもう高く評価していただいて、よくぞやってくれた言うて、それをもう御自分のブログにまで、今も残ってますけどね、私の写真付きで、一緒に写っているやつ、非常にそれはもう今も感謝申し上げておるわけでございます。
それに並んで、次の柱、もう時間あんまりございません、国会スタッフの役割の見直しです。
先ほどちょっと言いましたけれども、私が十八年間感じたのは、国会職員の、私は直接委員部の方とか調査室の方に関わるんですけれども、何かこう議員個人をサポートしているみたいなことが非常に中心になっている。ハウス、国政調査活動の一環としての委員会、それをサポートするのが国会職員であるという面が非常に自覚の面でもちょっと弱いんじゃないのかなということを感じました。議員立法も含めまして、もちろん議員立法も、会派とかいろいろ外に働きかけているんですけど、何か議員個人の、議員立法の名前も、議員というのはハウスの院じゃなくて、議員立法と言うぐらいですのでね。
だから、やっぱり国権の最高機関の職員ということよりも、霞が関よりも何か下みたいな雰囲気が、そんなことないのかも分かりません。そんなふうな文化というか、そういう意味が、戦前の影響か分かりません、残っているのと違うのかなと。そうじゃないと、国権の最高機関のスタッフなんだと、こういう自覚と、これは、御本人たちだけじゃなくて、議員の側にもそういうふうな自覚が大事かなというふうに思いました。
その原因の中に、私は、国会の法律に関係あるんじゃないかということで、これは私辞めてからでもちょっとだけ勉強したんだけど、国会法があると。国会法も、これもまともに私も読んでいなかったんですけど。それから、国会職員法というのがあると。こんなのもうあんまりよう知りませんでした。議院事務局法というのもあると。議院法制局法というのもあると。ここに目配りしてメスを入れて、きちっと、これでいいのかというようなこと、ここに何か問題があるからなかなか自覚できないのじゃないのかと。
特に私が気になったのは、国会職員の方々の身分保障はどうなっているのかなと。解雇とかそういう問題出てきたときに、それで考査委員会とかあるんですけど、これは人事院はもちろん霞が関とかやるんですけど、その後の公平性を保つためにそういう仕組みが極めて貧弱だと。身分保障がしっかりできていなかったら、張り合いも仕事するに当たってなくなっていくんじゃないのかなと。この仕組みは、是非私はこの調査会で御検討をいただけたらというふうに思います。現実、法制上は、議長とか議運を支えるのは国会職員ですからね。国会職員が国会職員の解雇とかそんなのを扱うとなると、本当の公正さは保てるのかというふうなことも感じたわけでございます。
最後に、もう時間ちょっとなくなってきたみたいですけど、この行政監視委員会のそもそもの歴史も、私、委員長になってしばらくしてちょっと感じまして、実はこれと同じような調査会から始まったと。調査会が一生懸命考えて、こういう行政監視は参議院の大事な組織だから、それを、役割を第二種の予算委員会と並ぶ第二種の委員会でつくってというふうに提言されて、それが議員立法につながって国会法を改正して、そしてできたのが、調査会からスタートしてできたのが行政監視委員会だと。その議員立法はここから、この調査会からスタートしたと。その最初の行政監視委員会ができていく調査会のメンバーだったのが、今日の武見会長もそうだったんですけど、当時の井上孝会長の下でそういうことをされて、そのときはもう霞が関の公務員の不祥事がいっぱい続いたこともあったんですけど、この行政監視委員会の方ができたと、鳴り物入りでと。十五年たつわけです。
私は、十五年間、またそのときはちょっと、特に異常だったかも分かりませんが、十五年間のそろそろ総括を、私は、行政監視の前に国会監視を調査会でやられたら、この統治機構に関わっていく、国会監視は誰がやるんだ、国民しかおらぬということになると、内部監査的に国会職員が、国会、ハウスが国会監察みたいなことをという発想も大事なんではないかなということも、行政監視委員会が調査会から始まったということをちょっと勉強しまして思った次第でございます。
ちょっと時間超過したようでございます。
ありがとうございました。
〇会長(武見敬三君) ありがとうございました。
それでは次に、高安参考人にお願いをいたします。高安参考人、どうぞ。
〇参考人(高安健将君) 成蹊大学の高安でございます。よろしくお願いいたします。
本日は、大変に名誉ある参考人の役割をお申し付けくださりありがとうございました。大変に光栄なことと思っております。
本日頂戴しましたお題は、議院内閣制下での参議院の果たすべき役割ということでございました。お手元に四ページから成りますレジュメをお配りしております。こちらを御覧になりながらお聞きいただければというふうに思います。
まず初めに考えなければならないことは、日本は議院内閣制なのかどうかということでございます。
議院内閣制というのは、そもそもは執政権力、つまり内閣がその存在を議会の信任に依存するシステムでございます。この意味というのは、一つの政治勢力が議会権力と執政権力の両方を掌握することで成立すると、それゆえに議会が内閣を信任するということが成立するということであります。この場合の一つの政治勢力というのは、日本の場合には単独ないし複数の政党ということだろうかと思います。
議院内閣制が示す一つの特徴といたしましては、パターン分けができるわけですけれども、非常に重要な政権党、あるいはその政権党の連合内の権力構造が分権的あるいは遠心的であれば、受動的、調整型の指導者がつくり出される、集権的であれば、強力な指導者、権力核をつくり出す傾向があるということでございます。
日本について見てまいりますと、執政権力、つまり首相と内閣と、議会権力の中でも衆議院、これは確かに融合をしていると。首相と内閣は衆議院の意思によって選任され、罷免されると。バランスを取るという意味で、内閣の持つ解散権も衆議院に対して持たれているということで、この両者の間では議院内閣制が成立をしている。民主的な正当性という観点からすれば、衆議院、首相・内閣というのは一つのグループというふうにみなすことができるということであります。
それでは、参議院と首相・内閣はどういう関係にあるのかということですが、首相・内閣は確かに衆参両院と解すべき国会に対しては連帯して責任を負うということになっているわけですが、参議院は首相あるいは内閣の選任と罷免ということには実質的には関与しておりませんで、これは衆議院によって担われるということでございます。
参議院と首相・内閣、衆議院と、これは、この両者というのは別個の民意によって成立した独立の存在ということでございます。権限ということではありませんで、民意を代表する機関という観点からいたしますと、この二つのグループは全く対等ということであります。ただし、半数改選という決まり事がありますので、参議院が直近の民意を主張するということはできないと。これは、選挙で選ばれたそのグループの人たちについては言えるけれども、院全体としては直近の民意というような表現の仕方はできないということでございます。
続きまして、レジュメ二ページ目でございますが、このように衆参で首相・内閣との関係が異なるというわけですけれども、にもかかわらず、日本は議院内閣制というふうに呼び得るのかということなのですが、この問題を考えるにはどうやら場合分けが必要なのだろうということであります。
一つは、衆参両院の多数派を同じ政党、政権党ということになりますが、複数であっても構いません、その政党が掌握をする場合。この場合には、権力的に最も重要になるのはこの政権党あるいは政権党の連合ということになります。首相・内閣の在り方を規定するのは政権党のガバナンスの問題ということです。院と院の関係というよりは、政党こそが最重要ということになります。自民党の長期政権下では、二院制の問題というのは自民党内のガバナンスの問題、九〇年代以降でいえば、自民党プラス連立パートナーのガバナンスの問題として処理をされてきたということでございます。二〇〇九年からは民主党が政権党ということになりますが、期間的には自民党が長いので、このような表現となっております。
つまり、日本の政治運営システムというのは、衆参の多数派を同じ政党が掌握している場合には議院内閣制と同様に機能した。つまり、首相・内閣と政権党の関係が政治運営の中心であったということであります。
他方で、衆議院の多数派が参議院の過半数を確保できない状態、つまりねじれ国会の場合には、首相・内閣、衆議院という一つのグループと別に参議院が並立をするということが注目をされたわけであります。この状況というのは、政治学的には権力分立制と解すべき状況なのだろうというふうに思われるわけです。
こうして見ますと、日本の政治運営システムの性格は、衆参の多数派の構成次第で変異すると、変わるということなんだろうと考えられます。つまり、議院内閣制と権力分立制の間を行き来するということであります。
それでは、そもそも議院内閣制と権力分立制というのはシステムとしてどういう含意があるのかということについてお話をさせていただきます。
まず、議院内閣制でございます。これは先ほどから申しておりますように、議会権力と執政権力が融合すると、そして、その権力の担い手というのが政党、政権党であるということであります。政党、政権党あるいは政権党の連合である。このことが意味しているのは、総選挙と総選挙の間の一定期間、権力というのはこの政権党と、それが選出をしている政治指導者に委ねられるシステムなのだということであります。政権党に対する拘束というのは、総選挙と党自身ということになります。党首の下に集権化をしている政権党の場合であれば、極めて強力な執政権力を総選挙と総選挙の間の期間つくり出すことができるということになります。これが一般的な議院内閣制のイメージで、イギリス型の議院内閣制のイメージと言われますけれども、効率的な政治運営を可能にしている仕組みでございます。
この場合、野党、官僚制、マスメディアというのは、非公式の拘束力のない制約をこの大きな権力に対して課すのみであります。そこで、問われるのは、議論の正当性であったり、あるいは政権党内の勢力と連動することによって拘束力を発揮するということはありますが、野党、官僚制、マスメディアが、あるいは、裁判所はちょっと違うかもしれませんが、決定的なコントロールを行う主体にはなり得ないということであります。こうした特徴が何を意味するのかと申しますと、政権党あるいは政治指導者が総選挙と総選挙の間、独走、暴走するという意図があれば、党内からの拘束がない限り可能なのだということでありまして、システムが維持されていくためには、こうした政権党あるいは政治指導者の自己抑制が必要になってくる。これによって初めてシステムが成立するということになります。
それでは、どうしてこういう大きな権力を、コントロールの仕組みが必ずしも明確でないにもかかわらず、政権党と政治指導者に委ねているのかといいますと、そこには一つの前提条件があるのだろうと思われます。議院内閣制というのは、政治指導者への信頼と、大きくおかしなことはしないだろうという前提があって初めて成立するということであります。この信頼の根拠というのは、少し時代を遡れば、エリートへの敬意であったり民意の把握、集約を政党が上手にできている、あるいは、政治システム内のイデオロギー的な幅が比較的小さいので、どちらの政党が、イギリスの場合でいえばどちらの政党が、日本でいえばいずれの政党が政権を担当したとしてもおかしなことにはならないだろうと、そういう信頼の根拠があったわけであります。が、しかし、今日の社会というのは、政治不信が非常に強いわけでございます。といたしますと、とりわけ集権的な議院内閣制の正当性はどこにあるのかという問題が生じることになります。
続きまして、レジュメの三ページ目でございます。
権力分立制ということについて次にお話をしたいと思います。この権力分立制というのは余りなじみのない言葉かもしれませんが、マクロの政治運営システム、いわゆる統治構造というところでいうと、大きくは議院内閣制と権力分立制に分かれると、そしてその間にバリエーションがあるという格好になっていますので、一つの典型的なマクロの政治運営のシステムということになりますが、これはどういうシステムかと。
アメリカの政治というのを想像していただければ分かりやすいかと思いますが、議会というものを二つの院にばらばらにすると。議会とエグゼクティブ、執政というのもばらばらにすると。司法も独立性を強める。中央集権というのは避けて、連邦と中央、それぞれ独立の存在としてみなすと。あるいは州や地方というものの独立性を高めると。こういう形で、権力の核をつくらずにばらばらに分解しようとする、それが権力分立制というシステムであります。こうすることによって政治への多様なアクセスポイントができるというのがそのシステムの特徴であります。この多様なアクセスポイントが相互に均衡と抑制をし合うことによって、一つの政治勢力が、あるいは機関が暴走しないようにするということで、相互拒否権をお互いに持つという仕組みでございます。
なぜこのようなシステムが求められるのかと。長く日本の政治改革運動では権力核をつくることが重視をされてまいりましたが、これは全く違うシステムなわけです。なぜこういうことになっているのかと。その背景には、権力の担い手に対する徹底的な不信感というものがあるということであります。一つの政治勢力が何かをやりたいと思ったからといって、それがすっとストレートに実現できる仕組みではないと。他の勢力から反対をされれば、妥協、調整、譲歩をしなければならないと。まさに、それこそが特徴であるシステムということになります。必然的に権力分立制はスローポリティクスを含意しています。言い方を変えれば、国内政策では変化よりも現状維持、ステータスクオ指向であるということが指摘できようかと思います。
昨年来のアメリカの状況を見ましても分かるとおり、制度として機関間の調整をどこかがやるという仕組みになっていませんので、デッドロックの危険というのもあります。でありますから、妥協、調整、譲歩をできる成熟をした自由民主主義国でなければ危険なシステムとも言えます。大統領が強くなり過ぎると独裁や権威主義体制化をすると、議会が強くなり過ぎればシステムが破綻をするということで、旧ソ連地域などで見られるような現象というのはこういうことと関連をしていようかと思います。
このように、議院内閣制と権力分立制というのは相互に異なる特徴を持っているわけであります。日本の場合、参議院の多数派の性格によってその政治システムが全く違う特徴を示すようになる。衆議院の多数派と同じ政治勢力が参議院でも、衆参の多数派が同じ、そろっている場合には議院内閣制の特徴を示し、異なる場合には権力分立制のシステムの特徴を示すようになると、そういう状況にあるわけでありますが、こうした中で参議院の意義というのはどういうところにあるのかと。
四点にまとめてあります。
まず第一でありますが、議院内閣制であれ、権力分立制であれ、今日、政党が民意把握能力を低下させております中で、政治へのアクセスポイントが多いということはそれ自体として望ましいことであります。衆議院の選挙制度の効果もありまして、近年は一党に偏った議員構成となる場合も多いわけでありまして、民意の表出には衆議院のみでは限界があるということであります。
第二に、今日明らかに政治不信の時代という状況の中にありまして、政治指導者が選挙で全権を委ねられたと考えることはできないのであります。
例えば、政権交代があって、十年のスパンで様々な有権者の支持する政党がそれぞれ政権を担当するということになれば、これは有権者にとってはフェアな状況と言えますけれども、そういう状況にはなかなかないと。政権を担当する政党が五〇%の支持を得ていたとしても、残りの五〇%はそこに参加をしていないということになるわけでありますから、政権としては本来的にはやはり自制をしなければならないと。しかし、集権的なシステムである場合にはなかなかそのようにはうまくいかないわけであります。そうした中で、参議院が担う権力分立制的なコントロールというのは大変に重要なのであろうというふうに考えられます。
第三に、政権党が党首の下に集権化している場合、執政権力に対する党内のコントロールあるいは利益の表出と集約というのはどうしても不十分になります。衆参の多数派が同じ政党の場合でも、参議院議員の先生方というのは参議院という独立の院に基づいて党内でも独自の力を発揮することができると期待をされます。
こう見てまいりますと、参議院というものの存在はスローポリティクスの担い手なのだというふうにも考えることができます。衆議院と同じように振る舞うという必要は全くないということです。集権的な議院内閣制の効率的な政治運営、これはこれで良い側面を持っているわけですけれども、問題を持っているということもあると、その問題解決に参議院がなれるということであります。もちろん、衆議院の多数派が効率的な政治運営を目指してそのような政治運営に賛同する議員を参議院で満たせば、両院でそのような政治を実現することもできます。つまり、効率的な政治運営を行うことも、それはそれで可能ということになります。実は柔軟な仕組みというふうに言うことができようかと思います。
そして第四に、任期の安定性というものを生かした政治指導者の育成ということも大変に重要であろうと考えられます。
最後に、四枚目、レジュメ四枚目に参りたいと思います。
ただし、参議院の在り方に問題がないわけではありません。ここでは二点に絞ってお話をさせていただきます。
第一に、執政権力を不安定化させる問責決議プラス審議拒否の問題でございます。
参議院とこれに対峙する首相・内閣、衆議院と、これは別個の独立の存在ということを申し上げましたが、両者の間には妥協、調整、譲歩がどうしても必要になります。しかし、今日の状況を見てみますと、今日といいますか少し前の状況を見てみますと、執政権力がその調整が行われる前に崩壊してしまうと。なぜなのかと。必ずしもこの問責決議だけのせいではありませんが、これも重要な理由の一つとなっています。実質的に選任をする権限を持たないにもかかわらず、参議院が実質的に罷免する権限を持つようになってしまっていると。これは、システムとしてはやはり不安定化を招く極めて危険な制度の運用というふうに言わざるを得ないと思います。
参議院は政策を止めたり修正したり廃案にする役割は制度的に期待をされていますが、独立別個の民意を体現する首相・内閣、衆議院の存在を否定してよいのかということは検討されなければならないと思います。
第二に、選挙制度の問題でございます。
参議院が全体としてどのような民意を代表しているのかが現在の状況ではやはり制度的に曖昧と言わざるを得ない。独自に持っているはずの民主的正当性がいかなる正当性なのかがクリアにならない限り、参議院のアイデンティティーや役割というのも対内的、対外的に十分に示すことができないのではないかということが危惧をされます。
参議院の選挙制度というのは、最近特に強調されるところですが、衆議院の選挙制度とセットで考えられなければならないと。非常にざっくりと申し上げますと、衆議院がもう多数代表的になっている場面で、参議院も同じように多数代表とするのか、それとも比例代表とするのか。いろいろな選挙制度は細かくはあると思いますが、大きく言えばこういうパターンになるわけであります。多数代表バーサス多数代表という場合には二つのパターンが政権の在り方として考えられようと思います。衆参を一つの政治勢力が掌握する場合、この場合には巨大与党が出現すると。第二のパターンは、衆議院の多数派が参議院の過半数を掌握できない、この場合には連立政権で参議院を何とか協力するように持っていくか、若しくはねじれ国会となると。多数代表と比例代表という組合せの場合で申しますと、これは恒常的な連立政権ということになろうかと思います。
選挙制度の在り方によって権力がどうつくられるのかというものが決定的に変わり得るということになります。ちなみに、このお話というのは、時間の関係で省きますが、同日選挙ということを想定しております。
以上のように、日本の政治運営における権力の創出とコントロールのメカニズムの中で参議院が果たす役割は決定的に重要であります。
少し時間を超過いたしましたが、私の方からは以上でございます。
以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
〇会長(武見敬三君) それでは次に、倉林明子君。
〇倉林明子君 日本共産党の倉林明子です。
今日は、両参考人ともお忙しい中御出席いただきましてありがとうございます。
先ほどのお話の中で、高安参考人からは改めて参議院の意義ということで四点おまとめいただいております。
そこで、憲法調査会でも議論を深めてこられました山下参考人に、そもそものところで参議院の役割、存在意義について端的に御紹介をいただけたらと思います。
〇参考人(山下栄一君) ちょっとどういうふうに答えたら、私は衆議院の経験全くないのでよく分からないんですけれども、参議院のメンバーとして仕事をさせていただいて、決算の感覚とか行政監視の感覚は衆議院の方では育ちにくいんじゃないのかなと、そういう文化的傾向があるんじゃないのかなということをいろいろ衆議院の方とお話ししながらとか感じてきました。
そういう意味で、できるだけ超党派の、超党派という言葉が、言うのは簡単ですけど、その動きをつくるのは大変難しい世界がこの永田町の世界だとは思うんですけど。先ほど言いましたように、国政調査権というのはハウスの調査権で、憲法六十二条によるとハウスの調査権となっていると。どの委員会も調査ということを言って、閉会中審査も調査続けますという、その調査って一体何ですかと。それは国政調査のことでしょうと。ということは、会派とか議員個人とかじゃなくて、ハウスとしての、院としての、国権の最高機関としての調査活動として厳然と自覚しながらやっぱりやっていくということが物すごく大事だし、それは、そういう感覚は参議院の文化になじみやすいということは、経験的にそういうことを物すごく感じてきましたので、この調査会もまさに、統治機構に関する調査会もその典型的な組織だと思いますので、この超党派の動きをつくれるかどうか、ここは国民の立法府に対する信頼に関わる、そこがなかなか難しいけれども、それを、そういう体験というか実績をつくっていくことが物すごく大事ではないか、これは参議院の独自のできる国民への貢献じゃないかなということを感じております。
〇倉林明子君 その上でも、どう民意を本当に反映して生かしていくのかということも大事になってくるんだと思います。
山下参考人も国会の中で繰り返し述べられているように、抑制、均衡の府、良識の府、再考の府として参議院の役割ますます重たくなっていると、国民もそれぞれそれを期待している、それがなかなか現状ではそうなっていないと、そこに大きな課題があるという提起されているのは、これ二〇〇四年ですけれども、今も現状そう変わらないんじゃないかと。一生懸命、行政監視委員会でねじれの中で御苦労された経験も御紹介ありましたが、私も行政監視委員会に現在所属しておりますが、まだ実質的な審議は一度もできていないということで、御指摘についてもしっかり受け止める必要があるなというふうに改めて思った次第です。
そこで、今回の国の統治機構の在り方に関してということで、時代の変化に対応した国の統治機構の在り方を考えるというテーマをいただいております。そこで、この間の時代の変化をどう見るかということが大きくやっぱり問われているんだと思うんです。
そこで、高安参考人にお伺いしたいんですが、一つは、二大政党制に対する評価をお聞きしたいのと、もう一点は、現在、内閣総理大臣の権限が確実に今まさに強まっているというふうに思うんですけれども、それについてのお考えを御紹介いただきたい。
〇参考人(高安健将君) 御質問いただき、ありがとうございます。
まず、二大政党制に対する評価ということでございますが、二大政党制に関しては、この二十年、既にたくさんの議論が提起をされていまして、また、それに対して今は批判的な意見というのも出てきているというところであります。私自身としては、どの政党制が良いかということよりも、各システムにはそれぞれに長所と短所があるということで、二大政党制という状況がある場合には、そこから漏れる問題をどういうふうに取り上げて克服するかと。例えば、二大政党制の場合には民意は完全に集約できるのか。
例えば、イギリスの場合には、労働者階級とそれからかつてであれば有産階級というふうな形で、大体それで社会の利益が集約できたと。ところが、どんどんそういうところでは収まり切らない人たちが出てきて、例えばイギリスの投票パターンでいうと、三五%ぐらいの人が二大政党制に入れていないと。
日本の場合には、衆議院ですと二割ぐらいの人が、二〇〇〇年代の後半ですと二割ぐらいの人が二大政党制に入れていないと。この二割の人をどうするのかと。参議院の方を見ると、二大政党ではないところに入れているという人たちがかなりいて、そこから外れる人たちの民意をどういうふうに集約するのかということが問題になると。
他方で、現在では二大政党制というふうに日本の政党システムを評価することは必ずしもできません。その場合に問題になるのは、コントロールを、政権交代というコントロールの方途をずっとこの二十年考えてきたわけですけれども、それが使えなくなってしまっている状況をどうするのかということで、二大政党制には良い点もあれば悪い点もあるということで、そのシステム自体がどうだということではないと私自身は思っております。
首相の権限の問題ということになりますが、首相の権限というのは、日本の、私自身の理解では大変に元々強かったというふうに思っています。
九〇年代の行政改革を経て更に強くなったということもありますが、決定的に首相の権力にとって重要なのは何かというと、政権党内をどういうふうに掌握しているかということであります。かつてであれば、非常に法的に大きな力を持っていた首相を政権党の力で御していたと。ところが、今日、政権党の力では御し切れなくなっているという状況があるということであります。他方で、世の中の要請として、首相、内閣に期待されている役割、それは国際環境であれ、メディアの環境であれ、非常に大きなものがあって、十分に役割を果たせるようにしていかなければいけないという側面はあるわけであります。
このバランスをどういうふうに取るかということなわけですけれども、今では課題に対して力は備わっていると、どういうふうにしてコントロールをするかということが大きな課題になっていまして、そこで二院制であったり司法であったり、あるいは中央、地方関係という様々な組合せの中で発揮される力をどういうふうに御していくのかということが課題になっているのだというふうに考えております。
〇倉林明子君 昨年末、特定秘密保護法が制定されまして、今国会では閣議決定で国の在り方に関わる大きな方針転換が進められようとしているという状況にあります。
山下参考人に伺いたいんですが、既に武器輸出三原則を見直すとか、今度は集団的自衛権の行使も閣議決定で可能にしていこうとすると、このような一連の内閣の動きに対して、今、参議院の果たすべき役割ということでの御意見を伺いたいと思います。
〇参考人(山下栄一君) 閣議決定で実質非常に重い、場合によっては憲法に関わるようなことが決められていくということを今おっしゃったのかなとも思いますけれども、それは立法府と内閣との関係で、内閣の閣議決定に関わる行政監視をどうするかということだと思うんですね。
そういう心配な点が生じてきたときに、これはちょっとやり過ぎじゃないのといったときに、やはり立法府、特に参議院として行政監視的に閣議決定で実質動かしてしまうという動きについてどれだけ関与しているかと。これは一つの会派とか一つの個人の問題じゃなくて、それは委員会として、調査会としてそういうことについての問題提起はあっていいと思いますし、それを議論しながらその問題も取り上げようかというようなことになっていくと、それも一つの行政監視の一環かなということは、今日の私の使命としてはそういうことぐらいしか言えないというふうに、私は今、質問をお聞きしながら感じましたわけですけれども。
〇倉林明子君 本来、一貫して公明党さんがおっしゃってこられた憲法に対しての加憲という立場であるということは紹介しているんですが、日本共産党とは立場が違うと。しかし、集団的自衛権の行使については現行憲法では認められないと、ここははっきり主張されてきたところかと思うんですね。
最近の世論調査の変化を見ておりますと、要は集団的自衛権の行使をめぐっての経時的な世論調査の変化を見ておりますと、この集団的自衛権を解釈改憲でやるべきではないという調査結果が、そういう意見が増えているということもありますので、そういう状況を見ると、現政権のこの集団的自衛権の行使、解釈改憲でということに対しては、民意は極めて抑制的であるというふうに私は受け止めているんですけれども、その点についての御意見も伺えればと思います。
〇参考人(山下栄一君) 私は今日は党の立場で来ているのではなくて、議院内閣制下の参議院の果たすべき役割という立場で来ておりますので、今の質問は、大変申し訳ございませんけど、ちょっとお答えは控えさせていただきたいと。
〇倉林明子君 大変失礼いたしました。
それでは、憲法の統治機構の原則について両参考人に御見識を伺いまして、私の質問を終わりたいと思います。
〇参考人(高安健将君) 大変申し訳ありません、もう一度質問を伺ってもよろしいでしょうか。
〇倉林明子君 憲法の統治機構の原則。よろしいでしょうか。
〇参考人(高安健将君) ありがとうございます。
統治機構の原則ということですけれども、統治機構のそもそもの意味というのは、権力をつくり、そしてそれをコントロールするということでございます。権力というのは、何といっても法律を作るというところが最大の権力になるわけですけれども、今日では執政府の果たす役割というものの方がかなり大きくなっているということで、このバランスをどういうふうに取っていくのかと、権力をつくり、そしてコントロールをすると。
衆議院の方はどうしてもその行使するという方に力点が置かれるわけでありますので、参議院としては、必然的と申しましょうか不可避的にバランスとしてコントロールの方途というものが重視されるのかなというふうに思っておりまして、そのバランスの中で統治機構が存在しているというふうに考えております。
〇参考人(山下栄一君) 倉林委員の質問は、非常に難しくてちょっと答えにくい質問続いているんですけれども。
私は、人権の考え方は非常に思いっ切り議論されてきたけれども、統治機構の在り方というふうなことは日本の学問の世界でもそんなに議論が深まってきていないんじゃないかなというふうに思っておりまして、そういう意味で、この今回の統治機構に関する調査会ができたというのは時代の流れかなと、変化かなと思いますけれども、ダイレクトにそこに突っ込んで参議院が取り上げているというようなことは、憲法審査会じゃないのに捉えられているというようなことは、連動してやられたら私はいいと思いますけど。
この統治機構の在り方の中で参議院の役割は、国民により近いところで国民の政治への、政治家への、政党への信頼に関わる仕事ができるのが参議院に期待されるところであるということ、そういう意味で、統治機構の中における参議院の位置付けというのは、非常に国民の側にとっては関心も深いし期待も大きいのではないかと、こんなふうに考えております。
- 日時
- 2024/11/22(金)
- 場所
- 内容